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どんな人にも経験という歴史がある。その経験を書き記すことで人類にとって少しでもプラスになれるものを書いています。

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辞めることは、自分の在りたい姿を蘇らせる行為 戸室竜也(22)水着販売員/副業


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■同じ職場で働く後輩

 現在私は水着屋でアルバイトとして働きながら、ブログを更新している。働き始めたのはGW前で、その2週間程あとに今回インタビューした彼もアルバイトとして入社。

笑顔を絶やさず、年下ながらどこか頼れるような存在。人見知りすることも無く、気づけばくだらない話で盛り上がっていた。

 同じ職場で働き、時間が空いた時はこれまでどのような人生だったのか。専門学校を卒業後の事などを聞いていた。今は22歳で若い自分を奮い立たせながら、これからの焦りが押し寄せている。

 

■サッカー推薦で入学するも

 サッカー推薦で私立高校のスポーツ科に入学。地元のユースチームではDFでプレーし、身長は180cmと恵まれた体格で定評があった。しかし、高校に入学するもすぐに退部してしまった。「スポーツ推薦で入学したら、部活を辞められないと聞いていた。退学覚悟で辞めるつもりだったが、担任の先生が3年間毎日学校に来ていれば、卒業させてあげるよ。とめんどうを見てくれた。」退部後は毎晩のように友達と遊び、スポーツ推薦で入学したため勉強に集中することも無かった。

 

■はじめての就職

 卒業後は自動車会社に就職。車の部品を作るライン作業に従事。その会社に就職した理由を尋ねると、「本当に自分の進路に対してなにも考えていなかった。まわりは受験を控え、スポーツ推薦で大学に行く友達もいた。一方で自分はすぐに部活を辞め、勉強もしたくなかったため、ひとまず稼ぐために就職を選んだ。」

 人生最初の会社をわずか2、3か月で辞めた。 「工場の匂いや、油など、すべてが自分に合わなかった。蕁麻疹が出てしまう程で、駐車場に着くと毎日帰ろうかと思う程だった。」ライン作業ならではの、人とまったく話さず黙々と働くのが精神的にも辛かったようだ。

 

■進学を決意

 再スタートの場所を探すも、高卒で働ける職種の限界を感じた。工場でのライン作業や力仕事など、以前と同じような業種しか働き口が見つからなかった。「選択の幅を広げるために、一旦フリーターになり、お金を貯めて学校に行き直そうと考えた。」

 地元から近いサーフショップで2年間働き、21歳のときに英語の専門学校に通う。「学費は自分で稼いだお金で賄えるところにしようと思い、2年制学校に絞っていた。英語だけは高校時代にテストの点数が良かった。選択の幅が広がると思い、英語を学ぶことにした。」

 

■再びの退職

 入学後は英語の授業に集中し、アメリカのフロリダに2度ホームステイに行き、日常会話には困らない程まで語学力を伸ばした。そうして、人生二度目となる就職。2社目として働いた先は、不動産の投資用マンションの営業。テレアポが主な仕事で1日300~400件ほど電話をかける生活が始まった。しかし、そこも2か月ほどで辞める。「あまり良くない印象を持たれるし、電話先でも厄介払い。そこも合わないなと感じて、辞めることにした。」

 

■会社に属するよりも個人としてできること

 高校入学後のサッカー部の退部、新卒一社目の自動車会社、進学を決意し英語も学び、就いた二社目の不動産会社のテレアポ。長続きせず、辞めてしまうことに関して本人に聞いてみると、「自分でも専門学校卒業後に入社してすぐ辞めるとは思っていなかった。無理だと思うとすぐに辞めてしまう。そういう自分に悔しさもある。」

 良くも悪くも頑固者。辞めたとしても、生きていかなければならない。「おそらく、会社のような場所で働くのが苦手。それでも、生活をしていかないといけない。だからこそ、自分で稼げるようにならないと。と思いはじめて、副業などで自分で稼げる基盤を作りはじめた。」

 

■幼少期の頃からあった無邪気な夢を現実に

 不動産会社を5月頃に辞め、すぐに今の職場でアルバイトとして働く事になった。現在は、店頭でアパレルや水着を売る傍ら、ネットでサイトを作り洋服を販売している。始めた当初は、これまでパソコンを触ったことすらもなく、文字を打つのも苦労したが、今は軌道に乗り出しているという。

 「具体的に職種とかは無かったけど、幼少期から社長になりたいと子供ながらの夢として持っていた。」会社に属し、退職を経験した結果、自分がどのように働きたいのかということを見つめ直すチャンスとなった。

  不動産会社を早々に辞めた理由には、ホームステイでの経験が彼の中で個人としてやっていきたい。という内なる欲望を沸々と湧き上がらせていたことにあるだろう。

 

■ホームステイは運命

 初のホームステイは波乱の始まりだった。当初の予定でお世話になる家の子供が病気になってしまい、受け入れができない。と空港に着いた当日に告げられる。途方に暮れていると、学校の先生から別の家庭を手配したから、そこで生活をしてくれと連絡が入った。
 ホストファミリーは60代の夫婦。旦那さんは元弁護士。奥さんは美術の元教師。この二人のバックアップによって彼は多くの経験をすることができた。生活のベースは海。住んでいる家の近くに、全米ナンバーワンとなった海があり、朝はそこに散歩をし一日をスタートさせる。ホストマザーは美術に精通していたため、彼を色々な美術館に連れて行っては、作品や美術に関しての知識を一から教えてくれた。家族団らんの際には、ただただ彼の話に耳を傾けてくれるなど、親身になって彼の生活のサポートをしてくれた。

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ホストファミリーとのスリーショット

■活動拠点をアメリカに

 日本に帰って数か月後、今度はホストファミリーが日本に訪れた。その際には、彼が観光名所を案内してまわった。その時、「来年も来るのであれば、是非我が家に来ないか。」と招待をしてくれた。翌年も同じホストファミリーの所に訪れ、多くの場所を見に行った。「本当に良い人たちで、自分にとっておじいちゃん、おばあちゃんと言える存在。今でも頻繁に連絡を取り合うし、一生付き合っていきたいと思っている。」

 生活の豊かさを肌で感じ、仕事や生きることの考え方を変えるきっかけとなった。むこうでの生活の憧れもあるようだ。「今はホストファミリーとの時間を過ごしたいために働いて、お金を貯めている。正社員として働いてしまうと時間も拘束され、休みも中々取れない。そうであるならば、自分でお金を稼げる仕組みを作り、好きな時に好きな人たちと一緒に時間を過ごしたい。」なにか物が欲しいというよりかは今はただただ、アメリカに行き、暮らし多くを吸収して生きていきたい。一番の理想はそこでなにかを始められるのが理想としている。

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アメリカで癒された海


 

■気づくとまわりに人がいる

 小、中、高、専門学校と友人たちには恵まれ、その中心には彼がいつもいたという。「自分で言うのも恥ずかしいけど、ある日、友達からいつも皆の中心にいるよね。と言われ、確かにそうかもしれない。と感じた。」だからこそ、まわりとコンタクトを取り、個人で動きながらもまわりの友人達となにかしていきたいという考えもある。

 年内には友人と車の販売も挑戦してみようと考えている。細部までビジョンは決めていないが、ある程度の段階までは来ているようだ。「当分は個人でやるけど、それだけで食べていけるとは考えていない。まわりは就職しているし、焦りもある。すぐに辞めてしまい落ち込むこともあったが、後悔はしていない。」アメリカでの生活を考えながら、25歳までには自分の会社を持てるようになりたいと目標を話してくれた。

 

■さいごー辞めたからこそわかること

 「なにもない状態からのスタート。これからも行動は続けていくし、これ以上落ちることはない。」とこれまでの自分を顧みながら、インタビューを終えた。

 ダメだと思ったら辞めても良い。重要なことは次のチャレンジを止めないこと。これまで続かないことが多い人生だったようだが、アメリカでの経験、社会人経験が本来、自分の在りたかった姿を呼び覚ました。私も彼と同じようにこれまでどこかに属しても辞めてきた人生。

 自分で仕事を作り、歩むと決めた22歳の青年。今は働きながらも、ネットを使い自分の思い描くライフスタイルの実現に向けて動いている。これからも多くの物に触れて新しい方向性をその都度見つけることだろう。いつまで彼と同じ職場で働けるのかわからないが、旅立つときに彼を笑顔で見送るのは間違いない。