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どんな人にも経験という歴史がある。その経験を書き記すことで人類にとって少しでもプラスになれるものを書いています。

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自分の世界の領域を知ったときに選択の幅は広がる 三義康史(25)百貨店販売員

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■人の魅力は表裏一体

 大学2年生の夏に参加したボランティアで知り合った。みんなの意見がまとまった時に彼の一言で周囲の雰囲気を良くも悪くも一変させるなど、一風変わった思考を持っていた。グループや団体のような集団意識に対するどこか嫌悪感を持っていた。かと言って人に対して誠実で、日本人、外国人に対してもオープンに接する彼を見てどことなく魅力的に感じた。

 帰国後は会うこともなく、実に6、7年ぶりの再会となった。私がなぜ彼に魅力を感じたのかが垣間見えたインタビューであった。

 

■ファッションに無頓着だった販売員

 現在は新宿に本店を構える百貨店で働く。入社3年目だ。アパレルには興味が無く、入社当時はプラダとグッチしか知らない程だった。バック売り場を経験し現在は婦人靴売り場を担当。「1、2年目は接客して買っていただく。という自分の接客が購入に繋がりお客様に喜ばれるのがやりがいとなった。一生懸命接客したら笑顔で帰ってもらえる楽しさがあった。」3年目の今のやりがいはこれから模索していくそうだ。

 彼が今に至るまでを聞くの高校時代に遡りインタビューは始まった。

 

■やさぐれていた高校時代

  大卒で百貨店に勤務。順風満帆のように見えるがそうではないようだ。小学校6年生の時に両親が離婚。以降、兄と二人で母親と住むこととなる。中学時代は先生が嫌いで、教科によっては成績が2。テストは0点をとったこともある。家庭の事情を考え高校には行かずに働くと母親に話したそうだが「高校ぐらいは行きなさい。」と言われ都立高校へ進学。

 高校生特有の賑やかで、体育祭や文化祭などの盛り上がるイベント事が嫌いだった。椅子に座って勉強している時が一番楽しく、なにより楽だった。

 ある日、教育実習生がやってきた。周りの生徒からも人気だった先生。その人気ぶりがとにかく気に食わなかった。授業中、名指しでさされた時、シカトしたそうだ。そのまま睨みつけ、クラス中がざわついた。

 授業後にサッカー部のクラスで人気者だった生徒が、「気になったから話しかけたよ。」と声をかけてきた。互いに家が近く、勤勉で成績が良かった。その一言をきっかけに一緒に勉強し、大学進学するようになる。 「そいつがいなかったら変わっていたと思う。性格的な変化もあって誰かと時間を共有する楽しさを知った。ひとりで勉強するのは辛かった。」

 

■俺が見ている世界は相当狭いな。と感じたチェコへの旅

 大学は指定校推薦で成城大学、経済学部への入学が決定。高校を卒業するまでの数か月間の家庭研修の時期に商社で働く、チェコ在住の親戚のおじさんから、「冬休みチェコに遊びに来ないか?」と誘われる。国立大卒で息子は医学部に通うエリートだ。それが初海外となった。

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チェコの風景

 仕事場のオフィスに招待された。日本人はおじさんだけで、まわりは現地のスタッフだけだった。外国人スタッフから「ボス」と呼ばれる様子を見て衝撃が走った。「今まで自分が見ていた世界は狭いと感じた瞬間だった。」それまでは、英語は好きではなく、何故、英語の教科があるのかと疑問を持っていた程だった。試験のための英語の勉強。教科書丸暗記でテストに挑むような勉強だった。しかし、英語を使い仕事をし、外国人とコミュニケーションをする様子を見て「大学入学以降は真剣に英語に取り組もうと思った。海外や英語に対してそれ以降目を向けるようになった。」と当時を振り返った。 

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オフィスに招待された際に撮ったもの


 ■大学入学後の4年間

 成城大学。経済学部へ進学。英語の勉強も多く履修しながら、留学生と英語で会話を し、アルバイトでお金を貯めては長期の休みに海外に行く4年間が続いた。大学2年生時に参加したボランティアで私と知り合った。当時から、現地のフィリピン人とも話をしていたり、フィリピンの母国語であるタガログ語を使って盛り上がっていた。物おじせずに、緊張感や現地の食に臆することなく飛び込む姿を見て「この人すごいな。」と今でも鮮明に覚えている。

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フィリピン人の参加者と

 

■再度告げられた挑戦への提言

 「大学1年生の時から、長期留学に行きたかった。」スイスでの思い出が強かったのだろう。大学3年の終了時に1年間休学してアメリカ留学をした。9か月の大学在学後、3か月のインターンシップ。トータル1年間のプログラムだった。

  このアメリカ留学に繋がるのにも紆余曲折あった。大学2年生時、授業の一環でまわりの大人達にインタビューをしレポートを作成することがあった。その時に選択したのがスイスに招待してくれた親戚のおじさんだった。「当時の衝撃をくれた大人だし、良い機会だから聞いてみたいと思ったんだよね。」その、インタビューの時もまた新たな世界を踏み入れる決意をする。一通りインタビューが終わると、「本当に上を目指すなら、今の大学を辞めたほうが良い。今からでも遅くないから他の大学や、海外の大学へ編入したほうが良い。まわりの友達も変わるし、そういう環境に身を置いたほうがより成長する。」と言われた。

 

■大学名だけではわからない人となり

 編入するために予備校に通うも、講師に授業に関して質問したところ「君どこ大学?」と質問され、「成城大学です。」と答えると、「そんな大学通ってるから、くだらない質問するのか。」と言われた。「大学の名前で判断されるのはおかしい。中でも納得いかないのは大学名だけで、自分の友人や教授達を否定された気がした。」以降、予備校には通わなくなる。しかし、このままでの学生生活だけで終わってしまう焦りを感じ、一年生の時に思っていた、アメリカ留学を志すことにした。

 

■猛勉強の後の苦労

 英語の猛勉強の結果、奨学金のテストに合格し一部免除となった。そうして入学したアメリカの大学。学生は幅広く、同年代から、子育て中の母親、サラリーマンで仕事帰りに通う人、60代ぐらいの方など様々だった。ディスカッションで多くの事を議論し、なによりも刺激が多い留学となった。

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■汗かいて野球をしたら生活が豊かになった

 シアトル郊外に住んだ。中学時代、野球部に所属していたこともあり、グローブを持って行ったそうだ。「野球を本場の国でやりたかった。もし生活が辛くなった時、野球をやれば気分転換になると思って。」

 実際、最初の数か月はなにを言ってるのかさっぱりわからない状態だった。コミュニケーションもうまく取れず悩んだ。どうにかして、英語に慣れつつ環境を良くしようと思い、ネットで野球チームをひたすら探し何チームにもメールを送った。その結果、地元の草野球チームに所属した。シアトルマリナーズに所属するイチロー選手の影響でチームに合流後すぐに打ち解けた。「その野球チームで毎週土曜日、野球をしていた。それ以降、学生生活も楽しくなった。野球だから細かい言語は必要が無く良かった。」

 

■思いもよらないフィリピンとの繋がり

 9か月の留学生活を終え、3か月間のインターンシップ。アジア中心に食品を輸出している会社。翻訳などの業務をした。上司やアメリカのホストファミリーがフィリピン出身でタガログ語で簡単な話をし、交流を深めた。「こんな形でフィリピンの経験が生きると思ってなかった。本当にフィリピンに行って良かったし、アメリカ留学でどんな人でも受け入れられるようになり視野も広がった。」

 留学先とインターンシップの影響のかいあってTOEICは900点のスコアを記録した。

 

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お世話になったホストファミリー

■圧迫面接で絞り出た”人”というキーワード

  日本に帰国後、就職活動が始まった。食品関係を志望していたそうだ。アメリカでは慈善団体の活動でご飯を配るボランティアをしていた。フードバンクと呼ばれるもので、スーパーや八百屋さんからもらったのをホームレスや低所得者の人たちに配る。という活動。その時、団体の人から「食は皆に平等。食べる喜びは共有できるし、平等で一番大事なことだよ。」と教わった。食品の良さは多くの人に幸せになってもらえる手段かなと思ったそうだ。

 そうして志望した百貨店。最終面接は圧迫面接だった。当時の人事部長、兼役員の人から、「君、色々言ってるけど結局なにをやりたいの?食品への想いや海外での経験とか話をしているけど。」と聞かれ、「人です。」と答えた。これまでの学生生活や様々な経験を踏まえ瞬時に出た言葉だった。高校時代に出会ったサッカー部のクラスメイト。チェコで衝撃をくれたおじさん。アメリカ留学で出会った人々など。「食品だけじゃなく仕事をしていく先にいるのは人だと思った。これまで、海外に行って困難もあったがまわりに人がいてやってこれた。その人達に恩返しがしたい。と思った。それと同時に食品では無くても良いのかも。と思っちゃった。(笑)」

 見事、内定をもらい配属面談となったとき、「食品じゃなくても良いです。」と告げ、アパレル部門のバック売り場に配属となる。ネットで服を買える時代だからこそ、店舗の強みはおもてなしや、ホスピタリティ。彼の持つ、人に対する真摯さが伝わり時代と会社の接客に対するニーズがマッチしていたのだろう。

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学生時代最後の海外旅行で行った南アフリカ。左:ダチョウにまたがる彼。右:アパルトヘイトミュージアムでの一枚。町のレストランや駅などで白人と黒人で入り口が分かれていた当時を再現している。


 ■徐々に環境を構築するポジションに

 入社3年目。ブランドの店員や社員など総勢200名を束ねる売り場の責任者の1人を任されるようになった。3年目は自動的にそのポジションにつくようだ。後輩もでき、売り場もバックから靴へとアイテムが変わり新しい商品知識を学んでいる。

 「今はお客様だけでなく、働く人たちに対する気配りや職場環境の改善も仕事になりつつある。」上司からは「自分よりも年上の人たちに対してどのように頼んだら、動いてもらえるのかを考えよう。一方、後輩たちには道を示すことだよ。」とアドバイスされた。「それを言われた時、後輩を導くということは考えていなかった。これまでは目の前にいるお客様に対するサービスだったが、これからは組織を動かす仕組みを考えることを再度認識した。」

転職などは考えておらず、「3年目でなにができるかまだ不明だが、ここで辞めるには早い。爪痕を残すじゃないけど、成果を残さないとだめだと思う。」

 

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社会人最初の海外旅行のラオスにて

 

■チャレンジの裏にある学生時代からの悔しさ

 中学時代から今までなにをするにも貪欲だった。なにかをするのに恐怖心は無く、行き当たりばったりに正面衝突していった。その根底には両親の離婚と悔しさがずっとあった。小学6年生の頃に両親が離婚。母親の方に付いていくことになるが父親とは休日にキャッチボールするなど仲が良かった。それが突然、環境が変わることとなった。

 それまでは遊びだった野球が中学入学後は野球部に所属し本気で取り組んだ。多くの生徒が小学校から野球を本格的にやり始めるのに対し、中学からのスタートで技術的なハンデがあった。高校時代はのラグビー部に入部。目立つほど体は大きく無く、普通の体系。どこか我武者羅に体当たりし、殻を破ろうとするもその都度悔しさが残った。その悔しさが根底にあるからこそ、多くの場にチャレンジし続けたのだろう。

 20歳になり、父親と8年ぶりの再会。駅で待ち合わせたが、互いに中々気づかなかったそうだ。今では年に2回一緒に飲んだりして、親子の時間を楽しんでいる。 

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ロシアに行ったときは寝台列車に揺られ移動


■常識やルールを壊していきたい

 年に一回、直属の上司と面談がある。入社一年目から毎年、「社長になりたい。」と告げているそうだ。 1年目、2年目の上司からは「うちの会社は難しい。小さい会社ならできることかも知れない。」と否定されてきているが、今回の面談で話をした上司とは意気投合。上司は30代半ば。水球で大学日本1位を経験した体育会系。入社当時から絶対に社長になるんだと周りに公言していたそうだ。

 「この先、どのくらい働くのかはわからない。だけど、やるならそのぐらいの想いで仕事をしたい。社長は50、60代でなるのが当たり前のようだけど、若い社長も良いと思う。社会や大人の常識みたいなのをぶっ壊したい。」将来の会社への欲望で締めくくった。

 

さいごーひとりの人より多くの人へ届けたい

 フィリピンで知り合ったときから面白い人だな。という印象だった。とりわけ、環境の変化に柔軟で、人と違うことに対して意に介さない姿が目に焼き付いている。ボランティアの活動のひとつに日本人、フィリピン人含め数名のグループに分かれてディスカッションをするのがあった。

 議題は”死の間際になって自分の愛を誰に伝えるか”。皆、親や友人、大事にしている人だったが、彼はマイケルジャクソンと有名人の名前を挙げた。理由は、「母親、友人、信頼している人だけだと、そこで終わってしまうが、マイケルジャクソンに自分の愛を伝えることで彼が歌を通してより多くの人に自分の愛を拡大して伝えてくれると思うから。」と答えた。

  その答えがインタビューするまで消えなかった。この話を本人にしたら「全く覚えてないけど、今聞かれてもそう答えるかもね。(笑)」とあっけらかんと答えていた。

 色々な場所で多くをチャレンジしても、まわりには常に人がいる。その影響は自分の成長、精神の安定にとてつもなく寄与する。これから、職場で先輩や後輩を束ねる立場になった今、これまで積み上げてきた人間力を提供する絶好の機会が訪れているのかも知れない。