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どんな人にも経験という歴史がある。その経験を書き記すことで人類にとって少しでもプラスになれるものを書いています。

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自分をもっと好きになれたモンゴル。外国人の人たちにできることとは 豊田佳織(25)日本語教師

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 それぞれが持つコンピレックス

 これまでインタビューした人達にあったコンプレックス。今回、インタビューした豊田佳織(とよだかおり)さんは、人前で話すことや、大きな声で話すことだったそうだ。

 そのコンプレックスを認めることができたのはモンゴルでの経験。

 モンゴルの若者たちと交流を持つことで芽生えた、『外国人の人達に対して、自分をどう活用してもらえるか』というキーワード。

 日本語教員、就職支援を経験したことで導き出した、自分の将来の姿とは?

 

日本人としてできること

 小学校1年生から兄の影響で空手をはじめた。兄よりものめり込んだ空手は高校入学前まで続き、黒帯の持ち主。そう聞くと勝気で、活発的な少女をイメージするが引っ込み思案な性格だったそうだ。

 商業高校に進学。海外志向もなく、英語も苦手。しかし、ある日見たマーシャル諸島での水爆実験を題材とした映画を見て、外の世界に興味を持った。

 「すごい衝撃を覚えました。爆発の威力やその影響力。また、原爆を投下されたのも世界で日本だけじゃないですか。その映像を見て、『日本人として、なにか世界でできることがあるんじゃないのか?』そんな感情が芽生えたのを覚えています」

 

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心掴まれた先輩の姿と日本語教師

 東京国際大学国際関係学部に進学。初の海外は大学1年生。キャンパス内のポスターを友達と見つけたのがきっかけだった。

 ゼミの先生や先輩たちとモンゴルへ渡航。初の海外ということもあり、見る物全てが新鮮。3年生の先輩は、日本語教師(海外の人たちに対して日本語を教える先生)になるための教壇実習が兼ねており、その様子も見学した。

 「今もお世話になっている中村瑛美先輩。この方が生徒達を前に、とても堂々と教えていたんです。私は、昔から人前で話すことや、視線が注がれるのがすごい苦手でコンプレックスだったんです。そんな自分と真逆な姿を見てかっこいいなと。それと同時に『なにかを教えるのはかっこいいな。いつかあそこに立ってみたい』と、思いました」

 

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隣で肩を組む瑛美さん。「今もお会いすることも多く、とても尊敬しています」

 

アメリカは『動かなきゃ負ける』そんなイメージでした

 ゼミの先輩たちからの勧めもあり、2年生にアメリカ、ウィラメット大学へ留学。「なんでもチャレンジする」そうテーマを掲げ、現地の生徒会に所属。学内のイベント制作・企画部に在籍し、地元でのボランティアや、現地の小学生に日本語も教えていた。

 様々なことに飛び込んだとは言え、元々引っ込み思案。最初からうまくいったわけではない。

 「人前で話す機会は徐々に増えました。ただ、最初はみんなの前で英語を話すのも恥ずかしかったです。『あいつ、今の表現違うぞ』と、思われているんじゃないかと考えたり。でも、徐々に自信がつくんですよね。全く違った環境で、それまでの自分と違う選択。帰国してから、人間性の変化を一番感じれました」

 

2年前の目標を実現

 帰国後は日本語教師になるために時間を注いだ。日本語の文法、発声方法、模擬授業。そうして3年生になり、教育実習の場に新モンゴル高校を選択。

 2年前に目標とした場所に自分が登壇することになった。

 「もうひたすら緊張です。(笑)生徒を退屈させないように、声も明るく、身振り手振りも交えたり。いかに授業を面白く感じてもらえるか、を意識していました。パフォーマンスをしているような感覚です。ただ、実際に教えてみて思ったのは、『あっ、こんなに楽しいんだ』ということでした。当時は、『人前でなにかを教えるなんて無理』と思っていたことが、少なからずできるようになっていた。海外の地で自分の成長を感じれたのはプラスの出来事でした」

 

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「先生も一緒に出ようよ」

 卒業を控えた4年生の8月。瑛美先輩の誘いもあり、新モンゴル高校が行う夏期講習のインターンシップに参加。

 とにかく生徒たちと話すことに徹した。お昼ご飯を一緒に食べたり、放課後も廊下で談笑したり。すると、あるクラスと深い関りを持つようになった。

 夏期講習の最後には、どのくらい日本語が上達したのかを映像で自主製作して発表するのだが、「先生も一緒に出てよ」と誘われた。

 「生徒達が『日本語教師』としてだけでなく、『私自身』を必要としてくれたのを感じることができました。その時、『この子たちにもっと私ができることは一体何だろう?』と思いました。インターン最終日には『私、来年ここで働くよ』と学生たちに伝えて、日本に帰国しました。その時は働ける根拠なんて全くなかったんですけどね(笑)」

 

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誰かがいることで、変われる自分

 卒業日の前日に新モンゴル高校での採用が確定。日本語教員として2年間教壇に立っち様々な学生たちと関わった。

 同校の教員として立った最後の授業は『ターニングポイント』と題した自分自身を話す授業。unlimited tone 「Chane」という歌を選曲。その詞の意味や、その言葉にある背景。それらを自分の人生と重ねて生徒達に伝えた。

 「最後に伝えたかったのは『ありがとう』。この一言でした。『自分がこうして立つことができるのは皆がいるから。互いに別々の場所だけれど、がんばろうね』。そんなメッセージを込めて選びました」

 初めてのモンゴルから5年。生徒達から、『先生の笑顔がすごい好き』、『声も大きくて授業が分かりやすい』と褒めてくれたことが心に残っている。

 「振り返って思うのは、自分のコンプレックスを知らないところで褒めてくれたり、好きだと言ってくれる人がいるなと。この気づきは大きな財産です。気づいたら生徒達の前でボロボロ泣いていました(笑)」

 

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自分が求める、『人』との関わり方

 去年の9月に日本に帰国。いつか教え子たちが日本に来た時のサポートがしたい。そんな想いから、アジア圏を中心に留学、就職支援を行うNPO法人で働いた。

 主な仕事はベトナム人労働者と企業のマッチングを担う営業。教師とは違う仕事を通し、『外国人が日本で働くということ』の様々な側面が見えてきた。

 「それぞれが望む企業に就職する人たちをサポートできるやりがいはありました。ただ、自分のできる仕事の限界も見えたんです。企業を紹介し、面接の同伴。採用後は密に関わる事はあまりないんです。ひとり、ひとりの日本での生活や様々な悩み。それらを共有したいとも思っていました」

 それ以外にも、ベトナム人の人達を「日本人化」させる風潮も感じたという。

 

日本の文化とどう向き合うのか

 「ベトナム研修で、初めて現地の人達と接したんです。そこで暮らす人たちと、日本で働くベトナム人。ギャップがものすごく大きかったです。現地の人はどこか自由というか。人に対して、時間に関しても寛容なんですよね。ただ、日本にいるベトナム人の方たちは周囲から、無意識的に『空気を読むこと』や『周囲と同調すること』を求められ委縮してしまっているな。と感じました。もちろん、働必要な要素だとは思うのですが、必要以上に『日本人化』させることに葛藤がありました」

  それに伴い、外国人労働者へのいじめもあるそうだ。日本語が十分に理解できない事を知り、裏で陰口を言ったりと種類は様々。

  「企業は優秀な人材が欲しい。加えて、少子高齢化も進んでいます。受け入れる企業だけでなく、社員の人たちの受け入れる姿勢、環境づくりも必要です。それは、私たち若い世代の役目でもある気がしています」

 

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現地で交流したベトナム人の人たちと

 

 

さいごー お金に変えられない、やりがい

 NPO法人を今月退職。先日は新モンゴル高校の日本留学志望者のサポート、日本国内のコネクション対応として再び復帰しませんか。と話も舞い込んでいる。

 その一方で、日本の大学院に進学し、外国人留学生を対象とした心理カウンセラーの資格を取得したいとも話す。

 アンテナを張り続け、行動したからこそ見えてきた未来がある。

 「『結局なにがしたいの?』とよく聞かれるんですよね。仕事も辞めるし。ただ、自分のベースにある働き方は、誰かと関わっていくこと。もちろん、お金も大事だと思います。ただ、私が仕事でやりがいを感じるのは人とのコミュニケーションの中にあります。相手の変化に寄り添い、見届ける。これが日本人である私ができることなのかもしれません」

 

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