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敷かれたレールに乗ることができなかった。奥底に眠っていた自分のやりたいこと 長谷川正悟(27) ホテルマン

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あだ名は”ゴリ”

 小学校時代の同級生。彼のあだ名が付いた理由は定番だが体格がよく、バスケをしていたからだ。そして、”ゴリ”と呼ばれる人の長所としてあるのが、優しい性格。そんな彼もまた温厚で、嫌なことがあってもニコニコしていた印象が残っている。

 親が教育に関して厳しかったのは当時から覚えている。進学するごとに親からの期待も高まっていた。成人式で再会した時は看護学生だったが、数年後共通の友人から、彼がホテルマンになった。と聞いた際は、不思議に思った。

 インタビューを通して、彼の持つ温厚なホテルマンの姿と、野性味あふれる仕事への情熱。現在の仕事と濃厚な人生の変遷を聞くことができた。

 

秀才の両親の間に産まれた彼

 父親は大手電機メーカーに勤務。超微粒子を生成する機械を作る科学者で、東京大学出身。父方の祖父もまた、東京大学出身とエリート家族。母親は看護師を長年やっており、色々な病院で勤務。母の弟は全国模試で1位になるなど、優秀な家族だった。

 理系の両親の間に産まれた長男の彼。小学校の3年生の冬に私が通っていた小学校に転入する。(元々、同じ地元で生まれそだったが、父親の転勤により4、5回の転校を経て再び戻ってきた。)

 

”良い会社に就職できるように”

 両親は彼に、大学卒業後は優良な企業へと勤めることができるようにと、勉強がしやすい環境を提供した。小学校1年生から公文に通い、小3からは中学受験の準備のため日能研へ。「他の家庭を見ていないから厳しいの基準はわからないが、自分にとってはキツイな。と日々感じていた。」まわりの友人達がテレビ番組の話で盛り上がる中、彼が見ることができる番組はNHKだけだった。

 中高一貫の都内の私立中学に通うも、2年生の時に私が通っていた中学校に転入した。「そのままの成績でも、高校に行けた。一方で、勉強の息詰まりを感じ、地元の中学に戻って、再度高校受験の準備のために編入した。」

 

大学進学時に言われた父親からの言葉

 県内の私立高校に入学。必死に勉強をし、大学進学を目指した。大学進学を考える2年生になった頃、人生を振り返って一番辛かった親からの言葉があった「MARCHを目標にしている。と伝えたら、お前が行くのはそんな大学じゃない。東大、京大、阪大。ここがお前の行くところで私立大学には行くな。と告げられた。」彼にとっては、六大学に行く学力も危うい程だった。親の理想像に近づこうと努力してきたが、親の期待に答えられず、その時の言葉が胸に刺さった。

 「父親は東大以外にも3、4校国立大学を卒業している。自分はそこまでの学力はそなかった。親からのプレッシャーから離れようと関西の大学を受験しようと動いた。」

 

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ダーツが趣味。自宅にもダーツボードが置いてある。

 

看護師という道へ

 父方の祖父の家が関西にあった。おじいちゃんがもしもの事があった時、俺が近くにいれば力になれから。と理由をつけて親がギリギリラインの大学と定めた学校を受けるも合格せず、1浪することになった。

 「夏までは成績が伸びていた。しかし、秋になると学力が落ちていった。真面目に勉強をしていたわけでもなく、勉強しに行くと言って漫画喫茶に行くこともあった。その頃には本当に勉強が嫌いになっていた。」

 高校時代から、ホテルマンになりたい。と両親には告げていたがダメだ。と言われていた。進路が中々決まらない最中、母親から同じホスピタリティ精神のある看護師はどうなの?と勧められた。「ホテルマンにはなれなくても、看護師ならやれるかな。と思い医療の道に進んだ。」

 

人が亡くなる現場で

 20歳の時に医大附属の専門学校の看護科に合格。ここでも勉強に苦労するが、自分が医療の現場でやっていけない。と気づいてしまうひとつの出来事があった。

 看護科では実習があり、入院している患者さんに一定期間付き添う。彼が受け持った患者さんは、比較的良好で退院間近だった。リハビリをし、食事も摂る。彼ともよく話す明るい人だった。

 折り返しの1週間となった頃、医師からガンを宣告されてしまう。終末期と呼ばれる段階で手の施しようがなく、余命数か月の命だった。「それ以降の変わりようがすごく、付き添うことが辛くなってしまった。一切、食事に手を付けない。話もしないし、リハビリも辞めた。ベッドの上でずっと上の空の状態となってしまった。」彼にとっても衝撃が大きく、医療の現場で働く事の現実を知った。その影響もあってか、精神的に病んでしまう状態になった。目の前で起こる医療の現場と膨大な勉強量に精神をすり減らし、2年6か月で医大を辞めた。

 

両親に告げた本音

 なんとか卒業はしたいと努力をしたが、耐えられなかった。両親には、「学校を辞めさせてください。学費は一度では返せないですが、徐々に返します。なので、やりたいことをやらせてください。」とお願いをした。

 それまでは親の敷いたレールの上を走り、幾度となく辞めようかと歩んできた人生に終止符がそこで打たれた。もちろん、彼のやりたいことはホテルマンだった。そうして、22歳でホテルマンへの道へと歩みだす。

 

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小学生から始めたバスケ。今も社会人グループに飛び込みで参加したりする。「仕事をきっかけに人見知りは無くなった。それまでだったら、いきなり参加するなんて考えられなかった。」

 

のめり込んだ、ホテルマンという職業

 ホテルの学費や生活費は自分で出すことを条件に、巣鴨にあるホテルの専門学校に入学。夜間は授業を受け、日中は専門学校が紹介してくれたホテルで働いた。自分が思い描くホテルマンは”華やかで洗練されている”イメージ。ホテルマンとして働く場所を考えた。

 「専門学校からの紹介で働いたホテルから内定をもらっていたが、もっとお客様と向き合い、より良い時間を提供する場所で働きたい。そう考えた時、みんなが知っているホテル。日本でいう御三家(帝国ホテル、ホテルオークラ東京、ホテルニューオータニ。)のいずれかに行けば、自分が思い描くサービスができると思い、そこを目指した。」

 元来、やりたかった事だったからだろう。メキメキとサービスの技術を身に付け、御三家のうちのひとつのホテルから内定をもらえた。彼自身も社会から認められ、自信が持てた。それまでの人生から抜け出し、自分というひとりの人間が必要とされたことに喜んでいる様子だった。 

 

自分の最大の強みは”接客”

 24歳で入社。同期は皆、自分より年下ばかりだった。「やっぱり焦った。同じことができたとしても、上司からは”たしかに一年目の仕事はできている。けど、お前は何歳だ?お前と同い年の人は多くの仕事を任されている”と言われたこともあった。」知識は追いつかない。けれども、接客に活路を見出した。「接客業はお客様に対する思いやりがすべて。接客を磨くことが評価に繋がると思った。」

 日々の業務で接客技術を向上させ、50代の上司から「入社2、3年目を見てもお前の接客が一番良い。お客様に対して思いやりがあり、仕事が丁寧だ。そのまま頑張れよ。」と言ってもらえた。「ちゃんと見てもらえていると実感し、励みになった。」その言葉を胸により一層仕事に力が入った。

 

知らない間に積み重なった心労

 普段通り出社していたが、気付かない間に体重は半年を過ぎると、10キロ痩せていた。まわりからは大丈夫か?と声を掛けられるほどにやつれていった。「ご飯も食べ、吐いたりしていなかったのみるみる痩せていった。」体重減少の理由には仕事のプレッシャーやストレスがあったのかも知れない。

 職場を後に退職するのだが、後日わかったそうだが、直属の上司が「長谷川は叱りながら伸ばしていくタイプだ。」と教育方針を取っていたそうで、日々怒られていた。「実際は怒られるのがめちゃめちゃ嫌い。小学校のときから親に怒られ殻に閉じこもって生きてきた。どちらかというと褒めて伸ばしてほしかった。」上司からの言葉を受け、自らを追い込み、精神的に落ち込みながらも働き続けた。

 

知らぬ間に忘れていた、”自分のしたい接客”

 一度心にシコリを持つと抜け出せない。無論、一流ホテルで働く事できめ細やかな確かな接客技術は身に付く。忙しく過ぎる日々の中で、自分がどのような接客をしたいのか自問自答した。 「多忙を極める毎日。本来自分がやりたかった接客では無くなってしまい、作業のようになってしまった。もっと、お客様ひとりひとりと密に関わりながら、休息の場を提供できる職場環境や、自分に心のゆとりが欲しいと思った。」

  

当時働いていたホテルからの誘い

 仕事の疲れや、悩みから抜け出せない時、専門学校時代に働いていたホテルの人達が「うちで働かないか?」と声をかけてくれた。仕事への情熱はあったが、ストレスと会社への不信感から2年働き退職。

 普通はバイトからの入社だが、準社員で雇われた。それまでの経歴や人柄を加味してだったかもしれない。そうして、去年の7月に今のホテルに就職。前職場の退職が決まって気が緩んだのか、13キロ太ったそうだ。(笑)

 「認知度が高い現場でやってきた自信もある。だからこそ、自分のスキルを活かし、より良いサービスを提供できるようにしたい。」誰もが知るような場所で濃密な時間を過ごし、評価も得てきた。それにより接客には自信があった。 

 

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仕事中の一枚。前職の友人たちが、彼が働くレストランで食事をしたときの写真。

 

否定された自分の強み

 入社後、程なくしてプライベートで先輩と飲みにいくことがあった。その時、「お前本当まわり見えてないよな。」と言われた。基本的に上司や先輩からの発言には反論しなかった彼がその時は違った。「それはどういうことでしょうか。外国人のお客様には拙い英語で説明してはいますが、一度ご利用されたお客様の顔は全て覚えています。」現に、数日前にご利用されたオーストラリア出身の外国人のお客様が数日開けてホテルに戻ってきた際、「以前ハンバーグステーキお召し上がりでしたよね?焼き方もウェルダンでしたが如何なさいますか?」と伝えたところ、「よく覚えているね。今回もそれで頼むよ。」と彼の直近のエピソードを先輩に話した。

 すると、「それがどうした。覚えるなんて誰でもできる。難しいことじゃない。そこから一歩踏み込んだサービスをするのがホテルマンの仕事なんじゃないのか?」と言われた、自分では思わぬ角度からの言葉に戸惑った。「え?これ以上の良いサービスってなんだろう。と考えたが、答えが出なかった。すいませんわからないので教えてください。上司にすかさず尋ねた。」

 

一歩踏み込んだ提案

 「同じものをお客様が頼んだなら、料理の付け合わせを前回とは違うものを紹介したら良かったんじゃないのか?もしかしたら、この先日本に来ないかもしれない。前回と同様の物を食べたかったのかも知れないが、一歩踏み込んだ接客をすることがホテルのレストランでのサービスなんじゃないのか。」

 この出来事が、今までの接客スキルに対し見つめ直すきっかけとなった。「自分はそこまでのサービスを考えていなかった。確かに提案だったらできた。指摘されて、なにも反論ができなかった。」以降、その先輩の仕事を目で追うようになった。元々、ホテルのサービスの大会で日本一位になった人。技術も接客も洗練されていた。「もっと接客の質をあげて、その人から”やるな。”と言わせたい。」

 

高校生のよくあるノリがすべてを変えた

 ここまで彼の人生の変遷を追ってきたが、そもそもなぜホテルマンに興味を持ったのか聞いた。「理由は、すごいくだらないことなんだけど。(笑)」と照れ笑いをしながら答えてくれた。「高校時代のバスケ部の練習中に、ノリで良い声でいらっしゃいませ。ありがとうございます。と言っていたら、友達から、ホテルマンみたいでめっちゃ良い声じゃん。というのがきっかけだった。(笑)ただのノリで興味を持ったが、あれが人生の分岐点になったのは間違いない。」

 それまでは、ホテルマンがどのような職業かさえも知らなかった。調べてみると、かっこよく思えた。そうして、心の奥底でホテルマンになることが将来の目標となった。

 

年齢と共に求められる、確かな知識


 もっと多くのサービスを知るために、上司や先輩からの意見が客観的で改善点を見つけるには最適だ。「自分で考えられることは限度がある。自分のサービスはどうでしたか。と評価を仰いでいる。お客様が喜ぶ100%は見えない。だからこそ、その時々で最高なモノを提供し続けて行くことが大事。」
 最近は、サービスや知識をより客観的に提示できるように資格取得に励んでいる。「国家資格のサービス技能検定1級を目指している。国の文化や歴史的背景。各国の料理形式やホテルの運営などの全般の知識が内容となっている。」

 その他にも、かっこいいホテルマンになるための勉強を怠らない。「昔からワインが好きでこれからはお酒に関する勉強も始める。なによりも、自分にとってソムリエバッチを付けたい。勉強嫌いな俺でも好きなモノの為ならやれるはずだと奮い立たせている。「親の敷いたレールの上に乗れなかったが、自分でこの仕事は天職だと感じている。休みが無くても、体力さえ持てば現場で働き続けたい。」

 

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小学校時代に肩車の写真と数十年後のふたり。上:小学校6年生時。下:23歳頃。 以前紹介した、友人(岩木智也)とも同級生。

彼が担いでいるのは私の親友。

 

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さいごー結果を出すのも自立のひとつ

 昼の新宿で髪の毛をビシッと決めた仕事終わりの彼と再会した。インタビューは幼少期の頃から始まり、過去の事実を淡々と話してくれた。小学校時代に彼の家に遊びに行ったときに、彼がこっそりお母さんから「いつまでゲームやってるの。」と怒られていたことをインタビュー中に思い出した。

 「小学生時代の将来の夢は医者。理由は親が言ったから。」当時こそ、両親からのプレッシャーに対し、なんとか答えようとしてきた。それができずに自分自身の人生を歩み、今では、両親も彼の生き様を尊重し応援してくれている。自立したからこその、信頼関係がそこにあった。

 ただのノリで興味を持った職業が、ここまで変化するのも面白い。嫌々ながらもやっていた勉強が彼に探求心を宿らた。ホテルマンに就いた今、彼の人生に血肉となって接客レベルの向上を後押ししている。彼が提供する煌びやかな空間で食事をしながら、今後インタビューがしたいものだ。

 

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