常識やルール。そこには”社会基盤を構築する”メリットと”個人の可能性を摘み取る”デメリットが内在する。
今回インタビューさせて頂いた松岡由枝(まつおかよしえ)さんは、見えざる価値観に悩む幼少期を過ごし、個人の可能性を引き出す仕事をされてきた。
「私はきっかけに過ぎません。無論、誰かを変えること。コントロールするつもりもないんです。ただ、自分で可能性を閉じてしまうのはもったいないと思うんです」
子どもの時に「将来」と聞くと「夢」を想像し、大人になった今、「将来は?」と聞かれると「不安」という言葉が出てきた読者もいるのではないでしょうか。同じ未来のことなのに――。
ドラえもんが教えてくれた社会の成り立ち
――現在は入間市にて「Lieto」サロンと、音楽教室を開講されていらっしゃいます。どんな子ども時代を過ごされたのかお聞きしたいです!
松岡 姉の影響で3歳からピアノ教室に通い始めました。そこで読んでいたのが「ドラえもん」。私の人格形成における重要な要素になりました。
”国鉄の賃上げ”や”ストライキ”等の社会情勢をドラえもんで読んでは、実社会で起きていることを照らし合わせる。物事に対する見方含め、どこか冷めた子ども時代でした(笑)
ピアノ教室の先生は私を”子ども”としてではなく、ひとりの”ピアニスト”として接してくれた。その居心地の良さも感じていました。
【PROFILE】松岡由枝(まつおかよしえ)。埼玉県入間市在住。幼少期からピアノを習い始める。音楽大学卒業後、オペラ研修所に入学。24歳「ヘンゼルとグレーテル」でオペラデビュー。27歳音楽教室を開講。2016年ボディートーク認定施術士取得。前橋市明寿大学にて音楽講師。2023年1月入間市にてサロンと音楽教室をオープン。
子どもの主体性を育む
――子どもとはいえ、大人の振る舞いはよく見ていますもんね。ピアノ教室は松岡さんにとって、学校やご家庭とは違った環境になっていたようですね。
松岡 先生の聡明さ、運営ポリシーは私のピアノ教室にも息づいています。
私が『習いたい!』と、言ったのが2歳の時。すると、先生から『靴の脱ぎ履きができるようになってから来てね』と言われ、3歳になってから通えることに。
子どもの主体性を大事にしていたので、親御さんが教室に入ることは原則NG。
私自身も、入会して2回目までは親御さんも教室まで来てもらいますが、それ以降は玄関までのお見送りとさせて頂いております。お子さんが自ら考え動いてもらうようにしています。
3歳から18歳まで習いました。先生は90歳を超え、未だに年賀状のお付き合いをさせて頂いています。
自分で選んだ部活
――自分で行う癖。大人になってからも主体性が発揮されると思います!中学校・高校はどういった学生時代をお過ごしになられましたか?
松岡 中学校は合唱部に入部。当時、文化部は”体の弱い人”や”ドロップアウト気味な生徒が入る”部活と揶揄されました。
『やりたいことを自分で選択してなにが悪いんだ』と違和感を持ち、文化部全体を活性化させ、ひとりひとりが胸を張って活動できる環境作りに奔走してましたね。
今でいう”同調圧力”に対する違和感。それに対する反骨精神を持ち合わせていました。
アイデンティティー
――高校は英語科に進学。聖歌隊に所属され、声楽とピアノと音楽に溢れた日常を過ごされました。松岡さんにとって、ピアノは愛好するものから特別な存在になっていきましたか?
松岡 少し話は変わるんですが、家族の中で私だけが左利きなんですね。
「田舎生まれ・女の子・左利き」どうしても周囲から差別的な発言を受けたり『嫁の貰い手がいない』と言われたこともありました。
両親からは『できて当たり前』と、”できる前提”の教育方針で育ったので『一族の中で、自分にしかできないことはなにか』と常に自問自答していました。
その点、ピアノは公明正大に左手を使える。音楽が自分のアイデンティティーになってきた感覚がありました。
杓子定規で見ない
――音楽大学に進学されますが、どういったいきさつがあったのでしょうか?
松岡 自分の中でピアノがひとつの拠り所になりながらも、高校生になると周囲のレベルの高さから、自分の実力もわかってくる。
大学進学の方向性に悩む中、ピアノの先生と相談する中で『なにかを教えたい』という意識が芽生えました。
高校には留学生や外国の先生も多く、日本式の杓子定規で私を判断しなかった。そのおおらかさが心地良かった。
音楽を教育分野での可能性を見出し、音楽教諭の道を目指し声楽のレッスンを2年積み音大に進学しました。
井の中の蛙、大海を知らず
――在学中に教員免許を取得。教員試験も受験されますが採用には至らず。大学ご卒業後は、倍率5倍を超えるオペラ研修所にストレートで入学し2年間学ばれました。
松岡 『より声楽における大海を知りたい』という思いで、オペラ研修所の門を叩きました。そこで自分が井の中の蛙であることを知りました。
大学時代に学んだ声楽は無駄ではなかったけれど、特定の人にしか気に入られる演奏と気づかされました。改めて反骨心や意地が出てきました。
『厳しい環境に身を置かないと自分の成長はない』と痛感し、研修所に入ってから音楽の再構築の日々でした。
学校だけが”教える場所”じゃない
――研修所卒業後は群馬県に戻り、地元のオペラ団体に所属。24歳の時に『ヘンゼルとグレーテル』でオペラデビュー。当時はどのような生活スタイルを送られたのでしょうか?
松岡 結婚式やオペラ舞台のコンサートで歌ったりするなど、アルバイトで生計を立てる生活。その頃から外部の音楽教室で講師を行っていました。
それまで教員採用試験も受験していましたが、音楽教諭は中々空きも出ないですし、最終試験で落ちてしまう。
そうしたときに友人から『学校で教えることだけが、先生なのかな?』と、ポロッと言ってくれて音楽教室を開く大きなきっかけとなりました。
雨にも負けず、風にも負けず
――27歳で音楽教室を開講。ピアノ教室や市民大学での講師など延べ約800名様のレッスンされてきました。これまで、大人や社会のルールに葛藤を抱いた半生だと思います。翻って、教える立場になった松岡さん。どういったことを生徒さんたちに伝えていたのか気になります。
松岡 音大に通う10代後半・20代前半の子たちへのレッスン。将来・仕事・人間関係で悩む時期に当たります。
次なるステップへ昇る最中にいる生徒に『色んな時の自分を知ってください』と、伝えてきました。
生きていれば、天気や恋人との関係、その日の体調によって浮き沈みがあります。それでも、ピアニスト・歌手は悲しいときでも舞台に立つ仕事。
だからこそ、気持ちが落ち込むときにどんな演奏をするのか。どういう気持ちでお稽古場に来たのか。
その時々の気持ちに目を向け、自分と音楽を味わえる人になってほしいんですね。
社会で通用するオトナに
――あらゆる状況の中でパフォーマンスをしなければならない。一人の人間として向き合うことがより求められるかもしれませんね。
松岡 自分の感情を知る。その根幹にあるのは、社会に参画できる人でいてほしい思いです。
今の音楽家は予約対応に伴うチケット販売。集客のためのチラシ配りに確定申告…(笑)。ひとつひとつのことを自分が行う。そうした手と足を動かしてお客様から人としての信頼を頂ける人間にならなければいけない。
音楽には生き様も反映されます。だからこそ、『いろんな自分を知ってね』と伝えてきました。
心と体の繋がり
――個人/フリーランスはあらゆる業務をこなす現代ですよね。現在の松岡さんの仕事のセラピーにも繋がると思うのですが、そもそも人の中に眠る潜在的な興味はどのようにして?
松岡 ”人の二面性”や”幸せの物差し”など、興味があり心理学に関心がありました。
また、声楽を学ぶようになり、心と体の繋がりに関心を持つように。私は腹式呼吸が苦手。あらゆる解決策を試しても、息が足りない・脳貧血が起きる。横隔膜にロックが掛かるって言ったらいいのかな?
体力・肺活量の向上をすれば良いのかというと、解決には至らなかった。きっと、その人の人間的心理が働いてるんじゃないかなって。
『誰にも話してないのに…』
――その矢先にボディートークを?
松岡 当時通っていた美容室の方からボディートークを紹介されました。眉唾論に対して半信半疑な私ですが、初めて受けた時は衝撃が走りました。
当時、この先も第一線で声楽やピアノのレッスンを行うことに対して「若く将来ある生徒たちの道を、もし阻んでいるとしたら嫌だな…」というモヤモヤを持っていたのを当てられました。
一言で言えば『やべぇ』ですよ(笑)。そのときに心と体は繋がっているんだと実感しました。そうした経緯から『どうやって習うんですか?』と、お聞きしてボディートークを始めるに至りました。
2015年からお客様へ資格取得のため、実技試験の練習のセッションを始めて、2016年にボディートーク認定施術士の講師の資格を取得しました。
二元論の息詰まり
――ボディートークは表に現れない痛みや傷。内側に目を向けて、体調や精神面をケアする仕事。ピアノ教室もアプローチは違えど、”その人の感情との向き合い”。中学時代のエピソードもそうですが、松岡さんは元来、人の能力を底上げしてきた印象があります。
松岡 人の可能性を見るのが好きなのかもしれません。せっかく目標や夢を実現できるかも知れないのに、自ら蓋をしてしまう人も多いと思います。
レッスンで常に問いかけているのは「あなたならどうする」です。
オペラの詩に出てくるキャラクターと自身の内面。それをどう馴染ませるか。そのときに「合ってる/合ってない」はどうでもいいんです。自身がどう感じて演じるのか。
ただ、学校教育では〇か✕かの解答。個人の感じ方は通知表には載りませんから。けど、ここは評価を受ける場所じゃない。常にあるのは「あなたはなにを感じ、どう表現する」ですよね。
グラデーションを味わう
――「あなたならどうする」その答えは自分にしかないですが、人生の積み上げの中でやはり白・黒で物事を捉えてしまう。大人になるとよりそこで身動きが取れなくもなりますよね。
松岡 大事なことはいかに自分を信頼し、あらゆる感情に目を向けられるか。そこに可能性があると思います。
その時に壁となるのが、白か黒のような二元論。その間にあるグレーに目を向け、尊重し許容できるか。『グラデーションの中にいる自分はダメなのか?』私はその中にいるのも、人間らしくて良いんじゃないかと思うんです。
むしろ、これまでの自分を否定して変わろうとしないでほしい。嫌だったという感情・事実が今のあなたを作っていますから。
『松岡さんの言葉で伝えてほしい』
――ボディートークではそうした、”その人自身”にフォーカスするお仕事になっています。オープンから8年が経過しましたがいかがでしょうか?
松岡 ボディートークはそうした内なる声を常に通訳し続ける。私はきっかけに過ぎません。無論、誰かを変えることや、コントロールするつもりもありません。
幸いにも『私の声で、自分の体の声を聴きたい』と仰っていただく方が多いです。色々な切り口で伝え、時には例を用いたり。
一番はクライアント様自身が喜びにフォーカスを向け、変化を嬉しそうに話してくれる姿。
その様子を垣間見えるので、非常に楽しいです。人を通して自分もバランスを取れている感覚があります。
さいご
――今後の展望、自分自身がこうありたいでも構いませんので、お聞きしたいです!
松岡 私の人生はみんなが後回しにしてしまうものを、1番目に持ってきた人生を生きているなって思います。
コロナ禍では『音楽は不要不急だ』と言われた時も、『そうした時だからこそ芸術の良さがある』と信じ、感染拡大を考慮して発表会を行ったり。セラピーも後回しにされやすい対象。
常識やルール。皆がそうだから。なんとなくの空気感が染みついた体。その人の内側に語り掛け、可能性が見い出せるきっかけづくりの存在になれたら嬉しいです。
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carpediem運営者:高橋郁弥(Takahashi Fumiya)
2018年よりインタビュー記事をスタート。
個人事業主の方を中心に、なぜその仕事を始めたのか。
どんな想いを込めているのかをインタビューさせて頂いています。