物事を照らし、未来を示す会社 Eureka inc.
海外のアパレルコレクションでのPRや、時に各国首脳会議のディレクション。多様な案件を請け負い、新しい付加価値を提供するPR会社EUREKA inc.(ユリイカ)のCPO(Chief Promotion Pfficer)である小石川泰弘(こいしかわやすひろ)さん。
自身の仕事を「自分はミーハーなので小さい頃からメディア越しで見ていた方々に会えるのは大きなやりがいです(笑)」と照れ臭そうに話すが、決して流行りに乗るだけではない。どこかアナログな要素も持ち合わせいている。
いつか僕も父のように
――本日はよろしくお願い致します!実は私と同じ東京国際大学の先輩にあたりますが、幼少期はどういう子でしたか?
小石川 父は戦後間もない昭和21年に生まれ。当時は大学進学も少ない時代だったので勉強よりも、スポーツや規律の部分が厳しかったですね。
そろばん、暗算、英会話、水泳、書道、剣道、サッカー、ピアノ…。いろんなことを習いました。小学生時代が一番多忙だったと思います(笑)
父は建築業と不動産業を営んでおり、ひとりっ子ということもあってか両親からの期待やプレッシャーも感じてもいました。
『俺の様になれ!』と言われた訳ではないですが、とにかく『まっとうに生きろ』と。どこか父の背中を見ながらいつかは自分も独立したい。という想いはあったのかも知れませんね。
ギターと出会った10代
――中学生時代は音楽、中でもギターにハマったそうですね!
小石川 野球部に入部しましたが、半年で退部。ハードなスポーツは自分に向いてないと認識しました(笑)。ただ、ギターはスポーツよりも体は動かさなくて良いですし、なにより女の子からモテるだろうと…(笑)
青春漫画に出てくるような楽しい高校生活を夢見て入学しましたけど、”無の3年間”でした。
地元には友人もいましたし、アルバイトも充実していました。ですが、疎外感や虚無感を抱いていました。なのに、周囲には変な対抗意識がありました。「お前らとは違う」みたいな(笑)。
4年間をどう生きるか
――東京国際大学商学部に進学。軽音部に所属。後に部長も務められました!
小石川 OBの中には紅白出場歌手や、芸能関係のお仕事に就かれた方も多くいて、年齢関係無く切磋琢磨できる環境で楽しかったです。
後輩を持つとマネジメントの部分に興味を持つようになり、部長を務めました。部長として意識したのは自分含めて、人としての成長を促せる場を作る事。
普通の大学生活では、”知識”は学べますけど、”生き様”のようなものは中々学べないですよね。そして、大学院を除くと最後の学生生活の場でもあります。そう思ったとき、部活でありながら成長ができる場所にしたかったです。
学びは学問だけじゃない
――さらには500人以上が所属する文化部の委員長も務められ、様々な施策も打ち出されました。
小石川 部活や委員会での活動が一番の学びの場だったかもしれません。
特に大学職員の方々に多くのことを教えていただきました。思えば、社会人の方と折衝したり、向き合ったりしたのは、その時が初めてでした。僕らがあることで迷惑をかけたとき、居酒屋に呼び出されてとことん説教されたもは良い思い出です。(笑)その分、僕ら学生の将来を考えていくれていると感じ、本当に感謝しています。
地続きの中にあった6年間
――卒業後はイベント・PR会社に就職。キャスティングを担当され、イベントや広告出演の交渉がメイン。社会人として6年が経過されましたが、大学生時代の経験は生きていますでしょうか?
小石川 生きていますね。例えば、芸能事務所とタレントの出演交渉の際、言葉遣いはもちろん、佇まいや礼儀にも注意を払います。音楽もやっていたので音響機材の知識があったこともプラスに働いてます。
そのほかにも、イベントでは大学生のアルバイトの方たちに協力いただくことも多いので、学生さんたちとコミュニケーションを図ったりと、至る所で大学時代の経験が生きています。
26歳、Eureka設立
――そして、3年前に当時上司だった方と独立。株式会社Eureka(ユリイカ)を設立。タレント、文化人など様々な人のキャスティング、イベントの制作。CPOとして主にクライアントとの折衝とPR企画が一番多い業務がメインだそうですね
小石川 僕らは良くも悪くも形のある商材を扱っているわけではないです。多くのご相談が『こんなことできますか?』という提案から仕事がスタート。
全く形の無い状態からアイデアによって形になっていくのは楽しいです。その反面、小売りや保険の営業のように、『売るもの』が決まってないので、どう売り込んでいいかが難しい時もあります(笑)
やりたいことにチャレンジできる会社
――現在2年が経過されました。どのような会社づくりを目指しているのでしょうか?
小石川 本当にやりたいことにチャレンジできる会社作りを目指しています。嫌なことを中長期的に行うよりも、興味のあることをしてもらう。そうすると、新しいものが生まれる。このシステム作りは難しいですが実現したいです。
よく居酒屋や、電車の中でよく会社の愚痴をこぼしている人を目にしますよね。それって凄く勿体ないと思ってまして。
プロジェクトの成功のために悩んだり、考えたりするのは有意義なことです。ただ、本来会社は社員を守る場所でもあります。その場所自体が社員にとって居心地が悪いのは本末転倒だと思うんです。良い環境を提供できたら良いですよね。
人との出会いがなにかを生み出す
――Eureka以外にもなにか手掛けているサービスや構想はあるのでしょうか?
小石川 今、友人の会社と共同で人を繋げる場を作ってみよう!と話を進めています。私たち20代、30代は”なにかやりたい”、”好きなことを仕事にしたい”と、思っている人たちが非常に多い世代。
決して”一緒に会社を作る”、”クリエイティブなことをする”など、大きな物事を掲げるのではなく、柔軟に新しいものを生み出せる場所を考えています。
僕は大学生時代に大勢の仲間と物事を作り上げる楽しさを知りました。社会人になった今も憧れのアーティストさんや企業の方々とコラボしながら仕事させていただいています。ただ、いくら技術が進歩しても人との出会いの中で誰かを楽しませる物が生まれると思うんですよね。
部活のような環境を
――同世代としてインタビューをしながら、とても背中を押される時間を過ごせました!小石川さんは自身のことをどう見ていますか?
小石川 自分のことって意外とわからない時ありますよね(笑)
何が向いているのかとか。ただ、昔から僕のことを知ってくれている人が『今の仕事小石川っぽいね』と言ってくれると、『今の仕事合っているんだな』と確信にも繋がったりします。
これからは、仕事は時間を消費するものという概念を無くす会社ができれば最高です。軽音楽部の時も、行かされている感覚ではなく自らが好きで行っていました。それは音楽も仲間も『好き』だったからだと思うんです。
会社もそのように部活の延長みたいにしたいです。プロジェクトも言うなれば作品づくり。社員という表現なだけで、バンドメンバーと捉えることもできますよね。
外周りで営業と現場を行き来して会社に戻っても思わず、『ただいまー!』と言ってしまうような(笑)大人になっても青春が味わえる会社も素敵じゃないですか!