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「ふたりの子どもを育てる」と誓い、持ってた楽譜はすべて捨てた過去――MikiMichi♫に込める想いとは? 本岡美紀

 

 二児の母親であり、シンガーの本岡美紀(もとおかみき)さん。ふたりのお子さんは重度障害を持ち、そろそろ20歳を迎えようとしている。

 

 現在に至るまで、育児に家事と数々の山あり谷ありの時間が続いてきたが、ひとつの”節目”に来ていると本岡さんは話す。

 

 「一時期は、『もう音楽は辞めた!』と、持ってた楽譜をすべて捨てましたが、今はユニットやソロ活動を始め、イベント等で歌わさせて頂いております。もちろん、子どもへの愛情は今も変わりませんが、それぞれの居場所で生きていくフェーズに来ているのかもしれません」

 

 時に、母親。時に、表現者。様々な表情を垣間見せる本岡さんの半生を伺いしました――。

 

MikiMichi♫結成

――本日はよろしくお願いいたします!「日常に音楽を」というコンセプトの元、『街の音楽屋”みーたん”(ソロ活動)』に加えて、『MikiMichi♫(ユニット活動)』もされているそうですね?

 

本岡 2021年から二宮さん(チェロ奏者)とユニットを結成させて頂きました。ソロ活動スタートは2023年の3月から。実はユニット活動の方が先なんです。

 

 二宮さんとは、レストランの音楽会で知り合いました。当時は音楽と距離を置いていましたが、『この素敵なチェロとなにか一緒にできたら楽しいかもしれない…!』と、感じ私からお声がけしたのがきっかけでした。

 

 最初は無料で路上ライヴをしてましたが、最近では周囲のサポートのおかげもあり、有償で楽曲披露させて頂く機会も増えてきました!

 

【Profile】本岡美紀(もとおかみき)1981年5月生まれ群馬県出身。

高校卒業後、音楽大学へ進学。22歳の時に第一子出産。子育て中心の生活を送る中、オペラ団体にて音楽を再び学び始める。2021年『MikiMichi♫』結成。2023年『街の音楽屋みーたん』としてソロ活動をスタート。イベント・ライヴ出演などを行う。

 

クラシックは当時の流行り

――やはり、小さいときから音楽が好きで習い事とかもなさってたのでしょうか?本岡さんと音楽との馴れ初めをお聞きしたいです!

 

本岡 6歳からピアノを弾き始め、クラシックも聴くようになりました。モーツアルトの交響曲40番にドハマりしまして!(笑)

 

 ただ、自分の好きを学校の友達に言ったら、『仲間外れにされるんじゃ?』と思い、内に秘めていました(笑)。なので、自宅ではモーツァルトなどの伝記を読み漁るなど、どっぷり自分の趣味に浸っていました(笑)

 

 今は昔の物として、”クラシック”と呼ばれていますが、その当時は流行りだったわけです。それを忘れないでほしいという思いで歌ってもいます。

 

たった一度の”発作”

――高校卒業後は音大に進学されたと伺いました。やはり中学生の頃から、音楽系への進学を志していたんでしょうか?

 

本岡 と、思いきや実は気象庁に入って天気の分析したかったんです(笑)。なので、気象大学校進学を目指し、理系高校に入学しました。

 

 ただ、ある日重度の発作を一度起こしたんですね。それを抑える薬を飲み始めてからガクッと成績が落ちました。

 

 薬の副作用の影響でとにかく眠い日々が続きました。今まで簡単に覚えられたことも時間がかかる。それに加えて授業も全く集中できない。

 

ご両親とのお写真

 

理想と現実

――今でこそ、薬の副作用の危険性が取り沙汰されることも増えましたが、当時はまだ情報も少ない時代ですもんね…。

 

本岡 たった一度の発作が運命をガラッと変えたような気がします。

 

 この成績じゃ気象の仕事どころか、理系大学進学も厳しいと落ち込んでいました。その矢先、音楽の先生から『あなた声が良いから音大に行ったらどう?』と、勧められたことが転機となり、声楽の大学に進学しました。

 

 ところが、学校では褒められた声も、入学後は『あなたの声はオペラ向きじゃない』と、言われたり。徐々に声楽で学ぶことの意義を感じなくなっていきました。なにより、音大は費用も膨大かかります。なので、1年で学校を退学しちゃいました。

 

『自分も命を経とう』そう、思う時もありました

――22歳のときに長男の大地君が誕生。数年後には次男、拓海君を授かりました。お二人とも、重度障害をお持ちだそうですね…?これまで様々な局面があったかと思います。

 

本岡 長男は今年で19歳。生活介護というカテゴリーの施設に通ってます。次男は高校3年生。

 

 現在は、グループホームに通う日を設けています。親にもしものときに、そこでも暮らしていけるようにと…。

 

 現在はパートナーもおりますが、シングルマザーの時期もありました。当時は子どもも小さく、自傷行為もあった為、家の中でも常に付き添っていました。

 

 少し日中働いたら帰宅。時に自傷行為に走ってしまう子どもの状況に目を配りながらの家事。疲れ果てて寝てしまい、次の日の朝4時に起きて残った家事をしていましたね。むしろ、ふたりが寝ている間じゃないと手が動かせないのが現実でした。

 

(左:大地君、右:拓海君)

好きを捨てる

――育児と家事に追われている日々。そんな時に好きだった音楽とはどう接していらっしゃいましたか?

 

本岡 クラシックは聴けなかったですね…。当時、あれだけ情熱を持っていたことを思い返し、『私、未練があるのかな?』と、思いを巡らせて辛くなっちゃうので。

 

 友人の演奏会に誘われても断っていました。どこか友人たちが一生懸命にしている姿から目を背けたい気持ちもあったかもしれません。

 

 本当の自分を殺してでも、『この子たちを守るしかない』と、思ってた時期。『もう音楽はやらない!捨てたんだ!』と、言い聞かせて持っていた楽譜を当時すべて捨てました。

 

2時間の葛藤、1秒の決断

――「最優先は子どもたち」と断ち切った音楽。なぜ、再びはじめるに至ったのかをお聞きしたいです!

 

本岡 友人が『オペラの花形の役をもらった!』というので軽い気持ちで見に行きました。題材はモーツアルト。小学生のときから伝記を読んでいたので、興味がありました(笑)。

 

 鑑賞後、純粋に楽しんでいた自分に気づきました。『トラウマないじゃん!』みたいな。きっと、彼女の頑張っている姿勢に惹かれたんだと思います。

 

 とは言え、音楽を再スタートするときは揺れました。大学時代の挫折、家族のこと。楽譜屋にも何度か出向いては、その前を2時間行ったり来たりを繰り返しました(笑)。

 

 でも、『こんだけ悩んでるんだったらやりたいってことじゃないのかな?』と、パッと決断して、楽譜を買ったのを今でも覚えています。

 

 

相手に伝わるのは”好き”の想い

――その後はオペラ団体の研究生として、音楽を学ばれました。そして、様々な思いが重なって形となった『MikiMichi♫』。コンセプトや楽曲など、どんな思いを込めていらっしゃいますか?

 

本岡 まず『自分たちが歌いたい!、弾きたい!』と、思った音楽を演奏してます。そうでなければ、人には伝わらないと思っています。

 

 そして、『自分の可能性を信じてみてもいいんじゃない?』という想いが根底にあります。

 

 二宮さんは40代からチェロを始めたそうなんです。小さな頃から初めて音大に行って――という、業界が持つ既定路線とは違ったコース。

 

 『今までやってきてないから』と、諦めるのではなく、『思ったときにやってみる』という彼の在り方にも励まされました。楽曲のみならず、私たちの在り方も『MikiMichi♫』の良さのひとつだなと感じてます。

『MikiMichi♫』ツーショット

 

小さな工夫が「やってみたい」を叶える

――「人間、いつからでも始められる。」慣習や常識を取っ払って、歩む姿に人々は心惹かれていきます。

 

本岡 時に、子ども達もなにかをするのに不自由な場面が何度もありました。それでも、『やりたい!』と、思えたことを『どう実現するのか?』と、少しの工夫で叶えることをこれまで継続してきました。

 

 実はオペラに関して言えば”作品が人を選ぶ”んですね。自分の声質に合うものじゃないと、そもそも歌わせてもらえない世界。

 

 なので、私たちは苦しみの中から演奏するのではなく、そのまま出せるのものを大事にしています。テクニックも重要な要素ですが、工夫ひとつで難しい楽曲も披露できるはず。

 

 そして、人々に感動を届けられるはず。ご自身の中にある可能性ややりたいこと。秘めた思いに対して、そっと背中を押せるんじゃないかと信じています。

 

それぞれの未来

――お子さんたちも大きくなり、徐々にそれぞれの環境に動き出そうとしているのを感じます。改めて、ご家族とご自身の変化に関してどのように感じますか?

 

本岡 今も『音楽活動をするのにこの状況でいいのかな?』と、常に自問自答の日々です…。

 

 とはいえ、最終的には『子どもを送り届ける』。それは一緒に暮らすことでなく、それぞれの居場所で生きていくこと。これが今、私が抱いている家族への想いです。

 

 中には親御さんが子どもたちを末永く見守る方もいらっしゃいます。一方、『私には違った世界が必要だったんだな』と、この数年間で再認識しました。

 

 それ相応の覚悟も伴いますが、歌いながら自分自身を出してもいいんじゃないかという感情が芽生えだしています。

 

自主企画でリサイタルを行ったとき

 

さいご

――本日はありがとうざいました!母として、表現者として。様々な側面を聞かせて頂き、充実した時間でした。今後はどういった展開をされていくのか最後にお願いします!

 

本岡 幼少期から、クラシック好きだった私。最近は、『昭和時代を彩った楽曲を私という媒体から触れてもらいたい』と、思い私たちなりのアレンジを加えたカバー曲を歌っています。

 

 また、ソロライヴのときはゲストの方をお呼びし、楽曲披露してもらえる場も提供しています。

 

 町の中にプロアマ問わず、面白い人がいっぱいいます。普段はサラリーマンや主婦をしていたとしても、『表現したい自分を押し殺してる人がいるのでは?』と、感じています。とにかく”表現してみたい人いらっしゃい!”と。(笑)

 

 人の中にある違った一面を皆さんに届ける。これも私の人生の役割かなと思っています。素朴な良さも、工夫一つで何倍も素敵に見えるはず。そのお手伝も今後させて頂ければと動き出しています!

 



 

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