『次の未来を、トモニ』という理念の基、埼玉県、東松山市にサッカークラブ『NEXUS SV(ネクサスエスファウ)』を立ち上げた平さん。
幼少期からサッカーを習い始め、高校卒業後ドイツへ渡りプロ選手を目指すも日本へ帰国。
プロ選手の道を諦め、指導者を志した背景。平さんがサッカーを通して子どもたちに伝えたいことは?
サッカー業界には程遠い自分
――本日、お会いできたのは陳君からのご紹介でした!まずはサッカーとの出会いを教えてください。
平 両親が鹿島アントラーズの大ファン。兄がサッカーを習っていたこともあり、自分も習い始めました。でも、当時は太っていたので練習が大嫌いで…(笑)。しかも、下手だったのでいじめられることもありました。
中学校でサッカー部に入部しましたが、プロ選手はもちろん、サッカーに携わる仕事をしたいとは全く考えていませんでした。
ましてや勉強も苦手で(笑)。就職に有利な市立川越高校に進学しました。
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今回、平さんを紹介して頂いた陳彦夫さん。平さんと共にNEXUS SVを立ち上げた。
県内で底辺の選手
――高校進学後もサッカー部に所属。新天地では満足行くようなスタートでしたか?
平 部員は1年から3年まで合わせて30人程度。部活というよりも、同好会に近い雰囲気の中でスタートしました。ですが、3年生が引退しても僕は試合に出場できませんでした…。中学校からサッカーを始めた選手が出場しているにも関わらず…。
「自分は県内で一番底辺の選手だ」と焦りを感じ始め、外周をひっそりと始めました。
すると、それまで見向きもされなかった僕でしたが、周囲の反応や評価が変わっていき始めました。
平知浩(たいらともひろ)。1997年生まれ/埼玉県出身
5歳からサッカーを始め、高校卒業後ドイツでプロサッカー選手を目指す。日本に帰国後、(株)クリエイトアドバンスに入社。土木作業員を勤めながら、指導者ライセンスを取得。2015年鹿島アントラーズ普及部コーチ。2017年東松山アタドゥーラ、コーチ。2019年1月サッカークラブ『NEXUS SV(ネクサスエスファウ))』を創設。
成長に伴う進路変更
――更には、部長を勤められました。どこか受け身、消極的なイメージだった平さんが変化した気がします。
平 その当時、サッカー選手の自伝や自己啓発本を読み漁りました。そこに綴られていたメンタル面や、物事の向き合い方などの思考方法をメモしては実践。
部を盛り上げるために、保護者の方々に配布する通信簿を作成。近隣の中学校を周り練習試合の申し込み。SNSアカウントを作成して新入部員を募ってみたり。今思うと、現在している仕事と繋がっていますね(笑)
――高校卒業後はドイツに行かれました!なぜ、その決断をされたのでしょうか?
平 就職よりもいつしか良い環境でサッカーをしたい。そんな想いが強くなりました。部活引退後はトレーニングをしつつ、少年団で指導者もはじめました。
ドイツ行きを選んだ理由はキーパーの育成が充実していた点です。とは言え、海外に行くことは躊躇しました。そんな時に決断を後押ししたのは、海外でプロサッカー選手を目指している人のツイートでした。
自ら海外に飛び込み、人間としての成長や付加価値を付けている姿に可能性を感じました!
井の中の蛙大海を知らず
――大いなる希望を抱きドイツへ旅立つも1年で帰国。現地での挑戦はどういったものだったのでしょうか?
平 世界の広さを痛感しました…。母校では「ストイック」と言われていましたが、上には上がいるんだと…。
現地では代理人さんが仲介役となり、セレクションを受ける生活。ですが、どのクラブからもオファーは来ませんでした。ドイツから帰国する際は、全部終わったなと。本当に憂鬱でした。
自問自答で起こしたアクション
――とても悔しい帰国だったかと思います…。その後は土木作業の仕事に加え、指導者の仕事も始められましたね。
平 半ば、自暴自棄になり「サッカーなんて…」と考えながらも、心の奥底では「本当にこれでいいのか?」と自問自答の連続でした。
そんなモヤモヤを払拭するために指導者ライセンスの受講した際、陳さんと出会いました。また、同研修会のご縁で鹿島アントラーズのサッカースクールやフットサルコート運営・スタッフとして働き始めました。
YOUTUBE
実際のお仕事現場を撮影してきました。
夢のクラブで分かったこと
――大きなチャンスを手繰り寄せましたね。子供の頃から憧れていたクラブでの仕事は充実感もあったと思います!
平 ウェアーを着るだけで身が引き締まりました。共に働くスタッフの方も小さい時から憧れていた人たちでしたし。
その中で求められる事も高いレベルでした。先輩方からは「”元Jリーガー”といった肩書に関わらず、同じコーチとして見られる。エンブレムつけている以上、それに見合った仕事をしないといけないよ」とも。
ですが、当時の僕はコーチ経験も浅ければ社会経験も皆無。挨拶や服装の乱れ、報連相の徹底、ピッチでの振る舞い。社会人としての基礎の大切さが骨身に沁みました。
失意の中で
――ところが、一身上の都合により1年間勤め退職。再び将来の選択に迷う中、インドへ2週間の一人旅をなさったそうですね。
平 ドイツでお世話になった代理人の方から『人生に行き詰まったら、インドに行ってこい』という言葉を思い出しました。
現地ではそれまで感じたことの無い衝撃の連続。如何に自分が恵まれているのかを痛感させられました。
一日一日を「生きながらえる」人たちを目の当たりにし、チャレンジ精神を取り戻し日本へ帰国することができました。
幼少期の自分
――帰国後は町クラブで再び指導者として働き、2020年1月に同クラブを創設。現在で半年が経過し、現在は30名を超える会員の方がいらっしゃいます。なぜ、立ち上げたのでしょうか?
平 子供たちへの想いが一番でした。様々なクラブで経験をさせて頂き感じたのは、子どもが自分のことを表現することに躊躇している姿でした。
周りと”違う”ことを意識しすぎるあまりに委縮し消極的になってしまう。その姿を見て、蘇ったのが幼少期の自分でした。
当時、”できないこと”に対して理論や想いを伝えてくれるコーチがいませんでした。子供ながらに、『一緒にできるように練習付き合ってくれたらな…』と思っていました。その幼少期の経験があるからこそ、アクションを起こせると感じました。
前を向いて、踏み出す
――子供に寄り添いながら成長を願うと。ですが、サッカーには勝敗が付き物。その点をどう捉えていますか?
平 勝利を求める中でチャレンジしたかどうかを評価したいです。
自信が無くなるとボールを持って、すぐ下を向いてしまう。すると、ドリブルができず、パスコースばかりを探してしまう。相手選手は怖くないですよね。
でも、ドリブルしながらパスコースを探されたら相手は困る。前を向き一歩踏み出すと選択肢が広がるわけです。人生においても前を向かないことは、駆け引きの手段を減らしているとも言えますよね。
子供たちにはまだ難しいかも知れませんが、そんなことを教えて行きたいです。
ゼロイチ
――チャレンジすることで可能性はどんどん広がっていきますもんね!平さんもまだ20代前半、数多くの選択肢が広がっていますね!
平 クラブに関して言えば、地元で愛される存在になること。そして、所属する子供たちの成長はもちろん、指導者の育成にも力を入れていきたいです。
私自身は、30歳に向けて動いています。サッカー以外の可能性も求め、今はスクーリングで教員免許取得中です。
こう話しながらふと思いましたが、ゼロからイチを創ることにハマっているのかも知れません。クラブ立ち上げもそうですが、高校時代僕が卒業した翌年には市の大会で2位になったり。
自らアクションをし、変化を生み出す。その過程に身を置けることが楽しいです。30歳まで後7年ありますが、更なるチャレンジをしていきたいです!