初、”ツクツク”代理店の方にインタビュー
私事ですが、総合ECサイト”ツクツク”でもブログの掲載をはじめました。農家、整体師、飲食店、芸能人などジャンル問わず様々な方が登録。自身が製作した商品やサービスの販売ができるサイトとなっています。
その、ツクツクのミーティングに初めて参加した際に知り合ったのが、今回インタビューした岡野さん。どこか、私の兄と似たような雰囲気で親近感が湧いた。その日に、即フェイスブックから連絡を取りインタビューさせていただいた。
埼玉県在住でイラストレーターであり、一児のパパ。岡野さんのご友人が営む”こむぎ ベーグル&コーヒー”にて行った。
tabelog.com
スラムダンク世代
現在は飲食店の壁画やウェルカムボードの作製。挿絵や個展に向けての作品づくり。自身がデザインしたTシャツの販売など、アートをメインに活動中。絵を描くとどこかインドアなイメージがあるが、専ら岡野さんは外で遊ぶ少年時代だった。
「サッカー、野球、ドッチボール。とにかく外で遊んでいました。(笑)当時はバルセロナオリンピックが開催されて、スラムダンクの大ブーム。小学校6年生からは毎日バスケにどっぷりでした」
青春時代に感じたアメリカの匂い
中学生時代もバスケに夢中。ストリートバスケにも参加するようになると、そこでのひとつの出会いがアメリカの興味を植え付けた。
「アメリカに留学中で一時帰国している人と一緒にプレーしたんです。その人がバリバリにうまくて。試合終わりにその人から、アメリカでの生活やカルチャーとかを色々聞いて、無性にアメリカに憧れを持ち始めたんですよね」
16歳、アメリカに旅立つ
高校入学後もストリートバスケに時間を費やした。その傍ら、1年生の夏休みにアルバイトで貯金をし、冬休みにアメリカへ旅行。ストリートバスケで知り合った人のところに、一週間程滞在しながらLAの街並みを堪能した。
「当時は今ほど日本にNIKEショップも無くて、LAのダウンタウンにあるショップ行って感動したのを今でも覚えています。(笑)NBAはもちろん、見る風景どれもがすごかった。日本にいる意味がわからないぐらいの衝撃でした(笑)」
将来はスポーツ関係の仕事に就きたいのと同時に、今度は現地で住みながら生活したいと思い、高校卒業後は1年間英語を勉強し、19歳の時にアメリカへ渡米。2年制のコミュニティカレッジに入学した。
アートとの出会い
その後、アメリカ人のマイケルと知り合う。彼は日本文化に興味があり、岡野さんは日本語を。マイケルは英語を教えながら交流を深めた。
ある日、岡野さんがノートに書いたいたずら描きを見たマイケルが「お前、絵が上手いじゃん!」と、褒めてくれた。
「小さいときから絵を描くのは好きでしたけど、まわりからたまに褒められるぐらいでした。彼からデッサンの授業やシルクスクリーンの授業を勧められて履修しました。それまでの美術の授業は物静かで硬いイメージでしたが、クラスメイトはお年寄りから、サラリーマンの人達など、新しい出会いや交流があり、よりアートにハマっていきました」
アメリカに3年半住んだ後にイタリアに渡る。学校の教授の紹介でフィレンツェ奥地やボローニャ。現地で知り合った人の家に泊まったりとバックパッカー的に周りながらイラストを描いた。
仕事に追われる日々の中で
24歳に日本に帰国。どのようにして、アートを収入に繋げるのか活路を見出せず、友人の紹介で運送会社に就職した。
「そのあとは、仕事に追われる日々でした。特に絵を描く事もなく、27歳の時に結婚し、29歳で子供が誕生。ただ、30歳目前となったときに、『仕事から帰って寝るだけ。このまま仕事に忙殺された人生で良いのか』そう思い始めました」
子供と一緒に絵を描き始める
留学経験から英語が堪能だったこともあり航空関係に転職。残業時間が減り、有休も取れるなど時間の余裕が生まれた。
「その頃、子どもが3歳。子どもとお絵かきしながら自分も描くことを再開したんですよね。ちょうどSNSが流行り出したのもあって何の気なしに投稿してみたんです。そしたら、友達からいいね!やシェアしてくれて。コメントでも、『この絵可愛いですね。とても好きです!』と知らない人からの感想もありました」
そんなある日、後輩の知り合いでギャラリーに勤めている人が、SNSで投稿された絵を見て「販売してみませんか?」と話が舞い込んできた。失うものはなにもない。そう決意し、オファーを受けた。
自分でも想像できない展開
初の会場は池袋の東武百貨店のギャラリー。来場された方から購入を頂き、更には注文も入るなど初の個展が無事終了。その後、様々なギャラリーから出展のオファーが届くようになった。
「まさかSNSの投稿から、オファーを頂いたり、自分の絵を販売するとは思っていなかったです。たまにイラストの依頼が来て、お小遣いぐらい稼げたらなー。とは思っていましたけど、正直、自分でも驚きでした。でも、今では自分にとってライフサイクルの一部ですし、楽しみながらやれています」
バスケに情熱を捧げた自分
アメリカ留学、イタリア放浪。今でこそ、アート一本で家族を養うことができているが、海外放浪中は将来に対する不安は当時よぎらなかったのか。
「もちろん不安はありましたよね。それは今もあるし。ただ、バスケに没頭してた学生時代、ドリブルしながら通学してたんですよね。放課後も暇なときは常にボール触ってたり。遊びではあったけど、それだけ熱注げた自分がいたってことは、時間や、熱量を込めればなんかになるんじゃねぇかな。っていうのは昔も今も持ち続けてます。あとは、なんとかなるの精神です(笑)」
ヤギがいる生活
実はPTA会長も務めている岡野さん。校庭が広く、草を刈るにも人手が必要。なにか解決する術は無いかと考えた時に、ヤギだったらその草を食べてくれてエサ代も掛からない。「ヤギ飼いませんか?」と学校に提案し、兼ねてより交流のあった精神障害施設と共同で飼育している。
一見すると不思議に思う話だがその背景には、自身が体験してきた”人との出会い”があった。
「放課後や、イベント事があるときは子どもたちがヤギを連れて歩いたりしていまする。すると、近所の人達も声をかけてくれるんです。僕はこれまで色々な人と出会うことで刺激を受けてきました。アメリカに行きたい、アートを学びたいとか。それと似た体験を地域の人たちと、子どもたちの間でできればと思ったんです」
息詰まったら人に会って、考え抜け
ストリートバスケで地域や年代を超えて新たな世界を垣間見た10代。岡野さんにアメリカ行きのきっかけを与えた方と以前飲んだとき、このようなアドバイスを受けたそうだ。
「『困ったり、息詰まったら本を読むか人に会え。その後は、脳みそから血が出るほど考えろ』って言ってくれたんですよ。息詰まってるってことは、どれだけ自分一人で考えても答えは見つからない。そんな時は、人のアイデアや、助言をもらわないと前に進まないじゃないですか。今も昔も”人に会う”っていうのはキーワードになっています」
一歩じゃなくてもいいじゃん
なにかを始めたい。成長したい。そのためには行動が不可欠だが、その一歩の出し方は人それぞれ。それが岡野さんにとっては、たまたまSNSに投稿したことがアートで生活する今に繋がったのかも知れない。
「一歩に満たない、むしろ半歩ぐらい前に進むぐらいが良いのかも知れないですよね。良くも悪くも、人は自分のことを気にしていない。もし、良いと思ったら褒めてもらえることもある。 ひとつひとつやりながら、その中で次はどうしたらいいのか。それを楽しみながら考える。そうすることが大事なんじゃないかなって思います」
さいごー人に会うという刺激
去年の11月にはフェイスブックから沼津市にてワークショップのオファーが届くなど、県内外問わず活動している。現在は日本で活動しているが、将来は海外での個展も考えているという。
このブログも開始してから1年が経過。これまでも初対面でお会いし、更に紹介を頂いたり。なによりも、私自身がより多くの人と直接お会いしているからこそ、自分自身も成長できていることを実感している。
今回、初のツクツクの方にインタビュー。間違いなく、僕にとって大きな一歩となった。