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授かる命、生まれる赤ちゃん。長い道のりをそばで見守る――ママが迷わない提案を 『たなか助産所』田中直子

 

 今回、インタビューさせていただいたのは、「たなか助産所」代表の田中直子さん。埼玉県飯能市、日高市を中心に産前ケア・産後ケアをご家族に提供している。

 

 「女性は、妊娠出産で大きく体も心も変化していきます。妊娠期は、今までの生活とお腹の赤ちゃんとの10ヶ月間お腹に語りかけながら、そして、『どこで、どのように赤ちゃんを迎えるか』そんなところから、お母さんの選択が始まっていく。安心して出産し、子育てしている笑顔を見たくて。そのお手伝いをしたいと思っています」

 

 20代で助産師として働き始めた田中さん。現場で抱いた理想と現実。ご自身が命を授かった中での葛藤。そして、2021年に蔓延したコロナウイルス。

 

 ご家族と二人三脚で命を繋いできたこれまでと、独立の想いをお聞きしました。

 

19歳に見た命の現場

――現在、産前・産後ケアを中心に働いていらっしゃいます。『子どもと携わるようなお仕事がしたい!』と、学生時代から思っていたのでしょうか?

 

田中 元々子どもが好きでした。高校生の時に養護教諭(保健室の先生)になりたいと、看護専門学校に進学。助産師を目指したのは産婦人科の実習時でした。

 

 お腹に命を宿すお母さんの尊さ。出産後も大変な母体と赤ちゃんをサポートする助産師さんの姿を見て目指したいと思いました。

 

【PROFILE】田中直子(たなかなおこ)1975年生まれ。埼玉県飯能市。都内大学病院、助産院で10年勤務とともに、電話育児相談カウンセラー6年従事。現在は飯能市新生児訪問10年、出張母乳相談、他市産後ケア事業、保健センターでの4か月健診に携わる。

 

想いと病院の狭間で

――助産師として病院に勤務。目指した仕事ができるようになりました。実際に働いてみていかがでしたか?

 

田中 助産師が目指すゴールのひとつに”自然なお産で赤ちゃんを取り上げることがあります。当時勤めていた先輩方もその志でした。その後姿を見ながら技術と知識を学びました。

 

 病院では、医師はできるだけ早く出産を終わらせ、出血などの対応に取り掛かることがあります。時に陣痛促進剤の使用や会陰切開といった処置も要します。

 

 一方、助産師はじわじわ産道が開くのを待ち、お母さんの動きたいように、赤ちゃんの下降を待ちます。お母さんの心も身体もお産に向かっていくことが分かっています。

 

 そうした状況の中で、よりお母さんに負担のかからない、自然なお産が提供できる場所で働きたいと思うようになりました。 

 

「赤ちゃんの誕生に喜びを感じる反面、病院で働くことのモヤモヤも同時に抱えていました」

黒子としての助産師

――その後は、不要な処置をしない産院且つ、自宅出産ができる産院に転職されたそうですね?

 

田中 それらに加えて、ご家族やお母さんが主体の産院でした。ご家族のご希望に沿うお産を叶えるのが私たちの役目。

 

 お母さんの一挙手一投足に合わせて、最小限の負担になるように私たちが黒子となって動きました。

 

 2年間勤めましたが、本当に毎日忙しかったです(笑)。

 

――病院とは設備や人員も全く違う環境。働き方もハードそうですね…。

 

田中 忙しいからこそ、改めてなぜ自分が助産師の道を選んだか再確認できました。

 

 妊娠5か月から関わり、出産するまでずっと一緒。陣痛が長引いた時は、腰をさすりながら、月を見ながら陣痛を強くなるのを待つ。

 

 三年番茶を作り、お母さんの体を温めて、お父さんや上のお子さんを呼ぶタイミングを見極めます。生まれたときに一緒にいさせていただく嬉しさと言ったら!

 

 助産師冥利につきます!

 

第一子の誕生と乗り越えた自分

――その後はご結婚を期に飯能市に引っ越され、お子様も誕生されたそうですね!やはり、出産場所は助産院を選択されたのでしょうか?

 

田中 助産院での出産を希望していましたが、娘が小さかったんです。助産院は健康な母体と赤ちゃんでないと産めない決まりがあるんです。

 

 『ガーン!(笑)』となりましたが、入院先の病院で助産師さんが立ち会ってくださることになり、無事に取り上げてくれました。

 

 赤ちゃん次第で思ってもいないことがあります。逆子ちゃんが直らなかったり、おっぱいが出ないことも。予想できないこともあるけど、私も一緒に考えさせてもらいたい。そして、ご夫婦ふたりで乗り越えてほしいです

 

 

パンデミックは関係ない

――子育て時期も相まって、仕事を中断。そうした矢先に2021年のコロナウイルスが猛威を振るう中、「たなか助産所」をスタート。勇気のいる選択だったのではないでしょうか?

 

田中 「ソーシャルディスタンス」、「分断」が始まる中で思ったのは『お母さん大丈夫?』でした。

 

 助産師は妊婦検診の立ち合いが制限。旦那さんの出産の立ち合いはもちろん、面会すらできない。無事に出産ができても、母親学級や沐浴指導といった最低限の知識さえも、距離が近くなるからできない状況でした。

 

 それではお母さんたちはどうしたらいいかわからないですよね。『うちの子、体重はいくつなの?』『母乳はどうしたらいいの?』と。

 

 こうした状況が続くなら、1対1で。大人数が無理なら1時間の枠の中で。なんでもいいからご家族が相談できる場所を作ろうと開業したんです。

 

 

”母”であり、ひとりの人間

――現在は『うれしいもの屋』さんでのランチ会やヨガ講師の方と連携をとって、お母さんが気分転換できるようなサービスを提供されいてますね。

 

田中 とにかくお母さんにゆっくりしてほしいんです。

 

 昼は抱っこしないと赤ちゃんは中々寝てくれない。必然的に夜遅くに家事をすることで肉体的に疲労。

 

 パパも仕事で日々忙しい。大人と会話する時間もないと、子育てと家事に追われ心も疲れてきますよね。

 

 「うれしいもの屋」さんでは「あぶあぶ会」を開催。育児のご相談やランチを楽しみ、赤ちゃんの体重や身長を計測をしています。

 

「私と保育士が子どもを見守る中、お母さんはヨガを。赤ちゃんにはベビーマッサージを提供いています。0歳子育て中のお母さんたちの仲間作りの場になっています」

 

ワタシと我が子

――産前・産後のママやパパにお伝えしていることはありますか?

 

田中 そうですね。難しいんですけど、お母さん自身が選べ、子どもと一緒に受け入れて進むみたいな。

 

 私自身、自然食品やオーガニック製の衣類が好きですが現実、子どもが小さい頃、偏食で取り入れるのは難しかったです。

 

 いくら自分がやりたくても、出かけたくても、子どもが受け入れられないことも多かったのです。少しずつ子どもに寄り添いながら、やっぱり子どもの笑顔が見たいから徐々にお母さん生活になっていったんだろうなと思います。

 

日高市にある「うれしいもの屋」さんでの様子

 

情報はただの”情報”

――自分の想いと、赤ちゃんの気持ち。その間に田中さんが入ることで気づきが得られるのかもしれませんね。

 

田中 お母さんと赤ちゃんに寄り添った伝え方を常に心がけています。情報が多い時代。なにが正解かを見失いがちだったりもします。

 

 そんなときは赤ちゃんの表情を見てお決めになるのもひとつの手立て。

 

 情報が多い時代だからこそ、対面で顔を合わせて、ママと赤ちゃんを見て話すことにこだわってきました。

 

 母子ともに負荷の無い選択肢を試してみて、子どもがどう反応を示すのか。表情を読み取る中で解決の糸口になると考えています。

 

「お母さんが選べ、子どもが喜ぶ。双方が納得いく迷わない提案をしていきたいです」

 

さいご

――地域に根差し、これまでご家族のケアをされてきました。今後、注力されたいことや現在はサービスを考えていらっしゃるのでしょうか?

 

田中 お産に携わりたい想いはありますが、子育ては長く続きます。赤ちゃんが生まれてからの方が大変なんですよね。

 

 気軽に相談できる顔の見える助産師として、妊娠中から関わらせていただき、生まれた赤ちゃんとお母さんの産後に寄り添えることが今やりたいことです。

 

 骨盤ケア体操や授乳方法、抱っこの仕方など、様々なお困りごとのサポートを行っていきたいです。

 

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carpediem運営者:高橋郁弥(Takahashi Fumiya)

2018年よりインタビュー記事をスタート。

個人事業主の方を中心に、なぜその仕事を始めたのか。

どんな想いを込めているのかをインタビューさせて頂いています。

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