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19歳で決めた”生きる指針” 押田茉寿美

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 「いつまでもあると思うな親と金」言い古された言葉だが事実でもある。そして、失った苦しみや後悔はその人にしか到底感じ得ない。

 

 押田茉寿美(おしだますみ)さんが、最愛の母を亡くしたのは19歳。様々な感情が押し寄せ、悲しみのどん底。そんな中、押田さんが得たのは”生きる強さ”と”人生との向き合い方”だった。

 

 女性では珍しい、営業職でありフルコミッションという働き方。なぜ、その環境を選び、どのように今を生きているのかを伺いました!

 

 

――本日はよろしくお願い致します!小さな頃から習い事も多く、中学時代はソフトボールで全国大会に出場したそうですね!

 

押田 こちらこそよろしくお願い致します!

 

 県大会常連校で、2年生のときには全国大会に出場。主将も経験しました。上下関係の厳しさから礼儀、言葉遣い等、後にも先にもこの3年間がめちゃめちゃハードでした!

 

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一番手前が押田さん。「両親が毎試合見に来てくれていましたが、今思い返すと、私のために忙しい中来てくれていたんだと分かり、本当に感謝しています」


  

――高校では吹奏楽部に入部。そこでも全国出場を果たしました!高校卒業後の進路と合わせて、当時の心境をお聞かせください!

 

押田 腰を痛めてしまい、昔からピアノも習っていたこともあって、高校からは吹奏楽部でホルンを演奏していました。なんとなくで入部しましたが、全国大会常連校だったという事は後から知りました。

 

 元々料理が好きだった為、パティシエを目指して製菓学校の進学を考えていましたが、母から「これからの時代は年配者が増える。だから栄養士の方が仕事があるんじゃない?」という助言もあり、人の健康を形づくる栄養士を目指しました。

  

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――しかし、専門学校卒業間近にお母様がお亡くなりに…

 

押田 元々体が弱く、病気で亡くなってしまいました。

 

 これまで母にしてもらったこと、後悔、懺悔、色んな感情が入り乱れました。なにより、母が亡くなった時、初めて見る父の姿に衝撃を受けました。

 

 ”父”ではなく、ひとりの”人”として見え、怒り、悲しみ、後悔、泣きじゃくる姿…。本当に忘れられません。それと同時に私が父をなんとかしなきゃ!と、私の人生の中で父がひとり入った感覚がありました。

 

 悲しみに暮れる中、この出来事は「人生一度きり、いつ死んでも良いように生きよう!」とその後の挑戦に繋がる支えにもなりました。

 

――栄養士の資格を生かし、ご卒業後は飲食店に勤務。店長に就かれましたが、心身共に疲弊し程なくして退職。その後、セラピストとして働かれました!

 

押田 母が肩凝り症を患っていた事や、私自身ソフト部時代に治療院に通っていたこともあり、人の身体や疲労を和らげるセラピストに興味がありました。

 

 フルコミッションでトータル4年ほど働きました。店長も任され、歩合なので、自分の技術、接客力の向上が対価として得られる。

 

 まさに、お客様の喜びが自分の幸せに繋がる仕事でしたが、腱鞘炎を患ったことで現場を離れエリアマネージャーになりました。

 

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――数字管理、新店舗の立ち上げも経験。次のステップに邁進しようと28歳の時に退社を選択されました。

 

押田 この4年間で経営者として働こうという意識が芽生えました。

 

 改めて、人生何が起こるがわからないことを痛感したんです…。職場の女性が離婚調停中の方や、私自身は怪我を理由に職場環境が変化。社会に出たことで再認識した母の存在だったり。

 

 まず私自身で稼げる力と能力を身に着けたいと思いました。

  

――その後、進路決断の前にダーツバーでの仕事やセブ島への語学留学を経験。帰国後に出会ったのが「株式会社Few's」でした。

  

押田 帰国後に「大宮、営業」で仕事探しを始めました。調べる中で独立支援と海外研修が魅力的に感じ応募。

 

 社長自ら、面接と1日現場の見学。ですが、訪問販売だったので本音を言うとやりたくない仕事内容でした…。ただ、独立支援の仕組みを教えて頂き揺れました。

 

 父親を楽にしてあげたい、将来周りに迷惑をかけたくない、楽しいことをめいいっぱいやりたい!など、成し遂げたい事が叶う可能性を感じ、Few’sに飛び込みました!

 

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――入社し、訪問販売はもちろん、イベント販売も従事。今は独立に向け、ご自身で採用も行っているそうですね?

 

押田 当社の事業は多岐に渡り、スポーツ・美容関連の販売やライフラインの営業も行っています。ひとつの商材に特化しているのではなく、営業に特化しているのが特徴です。

 

 今はマネージャーの立場でメンバーを抱えられるポジション。Few’sは自分のチームを作り、独立できる仕組みでして、年内に営業所を持つのを目標に採用も行っています。

 

 マネジメントするにあたって相手の立場や心境を組み取れるよう心掛けています。

  

――ここで話を少し戻しますが、入社以前は訪問販売を敬遠なさっていました。現在に至るまで、様々な浮き沈みがあったと思います。どう克服してきたのでしょうか?

 

押田 ポジティブな性格ですが、お客様から「いらないよ」と言われることに入社1か月はめちゃめちゃ落ち込みました。

 

 セラピストの時は、お客様から癒しを求めに来る。一方、自らニーズを引き出し売り込む。全く異なるスタンス。ただ、物事の捉え方が徐々に変わっていきました。

 

 やりたい、やりたくない。ではなく、これをやった暁にはどうなるのか?何をgetできるのか?なぜFew’sに入り、なぜやっているのか?に立ち返る。

 

  Why?の意識や行う目的を考えることで、営業そのものの解釈を変えてきました。

 

――原点回帰することでフラットに物事を受け入れてきたということですね!ちなみに独立後のビジョンは既にお持ちなのでしょうか?

 

押田 会社名を「ISTT(イスト)」(Innovation(革新)Speed(スピード)Team(チーム)Try(トライ)の頭文字)としています。

 

 事業内容はイベントとライフラインでの独立を考えていまして、軌道に乗ったらキッチンカーを活用したマッサージ店の展開や、男性、女性含めて働けるような事業内容も立案していきます。

 

 また、オフィスには託児所も併設させたいと考えています。

 

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職場での一コマ
 

――遡ると、お母さまは書道の先生だったそうですね?個人で事を成すといった点でも、お二人には共通点がございます!

 

押田 母の死が私を強くさせ、その後の人生の考え方を変えてくれたのは言うまでもありません。「どう自分の人生を生きるか」を深く問い、自分を律してきました。

 

 こうして振り返ると、転職経験や語学留学、Few’sに入社してから過ごした時間。どの瞬間も「人生一度きり。いつ死んでもいいように生きよう」と19歳の頃から言い聞かせてきました。

 

 そんな人生の定義づけは、様々な環境に飛び込むチャレンジ精神と、経験からなにを学ぶか。という姿勢を育んでくれました。

 

 この後ろ盾があったからこそ、今も頑張れています。 

 

――さいごにビジネスの押田さんではなく、押田さん”ご自身”はどのような人生を送りたいでしょうか?

 

 押田  身近な人が亡くなったので、人より死に対して考えさせられたことも事実です。

 

 出来る事なら100歳まで長生きしたいですね。そして、私が死んだとき、参列者が笑って私の思い出話ができるようなお葬式が理想ですよね。

 

 「茉寿美の人生きっと悔いないだろうね」

 「楽しい人生だっただろうね」

 

 と、言ってくれるような人生。

 

 人生の中で成し遂げたい事は、まず父を楽にさせてあげ、楽しませる。親孝行のひとつとしてベンツを買ってあげ、その車に乗って2泊3日の旅行に行きたいですね!

 

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