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『あなたの人生を記録する』

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転職の先にある新しいビジョン 緑川学

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  大学を卒業し、安定した仕事に就き、家族にも恵まれる。絵に描いたような順風満帆の人生。しかし、医療を取り巻く環境・業界の変化は築き上げたキャリアを捨てる選択を迫られました…。

 

 緑川学(みどりかわまなぶ)さんは50歳を目前に25年間勤めた製薬会社を早期退職。やっとの思いで見つけた転職先では仕事に忙殺される。

 

 休日は、生きがいのひとつだったはずのバイクにも乗れず、1日中布団の中でスマホ動画を見て現実逃避。静かに、そして、着々とそれまであった幸せな日常が崩れていく…。

 

 苦難の状況を脱し、辿り着いた先が「株式会社Few’s」だった―――。

 

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――本日はよろしくお願い致します!学生時代はどのようなお時間をお過ごしになったのでしょうか?

 

緑川 学業で言えば、成績はいつも中の上。体育だけはいつも5でした(笑)

 

 学生時代は野球漬けの日々でしたね。小学校2年生からリトルリーグで始め、当時は「フジローズ」という今でいうベルマークの様なものがあり、その景品でたまたまキャッチャーミットを手に入れました。

 

 それをチームメイトに見せびらかしたことがきっかけでキャッチャーをやるハメに…。ちなみに体は小さくていつも前から2~3番目(笑)

 

 中学ではシニアリーグ。高校では甲子園を目指す野球少年でした。

 

 高3の夏は一応エース。ただ、埼玉地区予選が始まる前から予選3回戦の日程の頃には、野球部数人で海の家を予約しており、予定通り海を満喫しました。

 

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高3の夏 埼玉地区予選1回戦(県営大宮球場 テレビ埼玉で放映もされました)
 

――附属高校だったこともあり、獨協大学経済学部に進学。大学でも野球を継続なさったのですか?

 

緑川  いえ、大学ではテニスサークルに所属し、インストラクターのアルバイトをしていました。勉強よりも、ほとんどの時間をテニスで過ごし、学んだことは人との繋がりの大切さでした。

 

 当時はバブル経済真っただ中。就職先も選べる状態でしたが、いつの時代も景気に影響されにくく、安定した企業と考えメーカーの製薬会社に的を絞りました。

 

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大学のテニスサークル合宿での1枚。「現在より10kg以上はスリムでした」

 

――製薬会社の営業職として入社。いわゆる”MR(Medical Representative=医薬情報担当者)”と呼ばれるお仕事ですが、入社当時の心境は覚えていらっしゃいますか?

 

 緑川 新入社員は皆、研修所のある大阪で半年間みっちりと研修を行うのですが、その半年間は学生のノリそのままでした。1日の研修が終わるとその足で3人の同期とパチンコ屋へ直行。勝った奴が夕食を奢ったりしていました。

 

 また、ビジネスホテルに半年間連泊するため、私はミニコンポを自宅から持参し、現地でトースターやドライヤーを購入したりして色々と私物を持ち込んでいました。ちなみに他の同期も同じような感じでした(笑)

 

 朝、一斉にトースターを使い、お気に入りの音楽をかけ、ドライヤーを使ったため、ホテルの電気ブレーカーが落ち、上司からこっぴどく怒られたのを今でも覚えています(笑)

 

 新潟県への配属が決まり、新潟市内の開業医担当となり、MR(当時はプロパー)としてスタートしました。自社製品の品質・有効性・安全性に関する情報の提供及び収集に務め、新製品が出れば自分の担当エリアが新規ターゲットになる。患者さんの健康や命を守る医師相手のMRの仕事にやりがいを感じていました。

 

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どこか溢れ出るトレンディー感 

 

――新潟県で奥様と出会い、その後は埼玉県、福島県、横浜と転勤が続きました!環境の変化に伴う、仕事への充足感はいかがでしたでしょうか?

 

緑川 社内外の方とも非常に良い関係を築いていました。

 

 福島県いわき市に転勤して半年後に震災。家族を埼玉県に避難させ単身赴任。4LDK の一人暮らしだったのですが、地域柄同業者は出張者も多く、皆時間を持て余している。最初は同業他社の気の合う仲間と居酒屋でモンハンを始めたのが、そのうち週2~3日、我が家に集まってのモンハン三昧が始まりました(笑)

 

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ゲーム中に寝てしまった緑川さん。いわきから横浜に転勤が決まった時に開いてもらったモンハン送別会にて

 

 営業成績もメンバーに恵まれ、主力製品ではグループで社内1位を取って、沖縄での表彰式に呼ばれたりと公私共に充実した生活を送っていました。

 

 横浜勤務の時には、公私ともに仲良くしてくれた上司にも巡り合えました。(一緒にサーフィンスクールにも通いました)週末は、趣味のバイクで江の島方面をツーリングしてから家族のいる埼玉で家族と時間を過ごす。

 

――二人のお子さんにも恵まれ、吸収合併も経て勤続25年あまりが経過。しかし、人生の岐路を迎えたそうですね?

 

緑川 製薬会社は研究開発に始まり、新薬の誕生。患者様に流通が起きる事で利益が生まれます。

 

 ひとつの新薬を世に出すのに15年~20年かかるのはザラで、その費用は200億円にも昇るものもあります。時間と費用が膨大なんです。

 

 しかし、ジェネリックの台頭により、主力品の業績は低迷。会社は経営不信による早期退職の募集を始めました。

 

  どうするか非常に迷いましたよね。この環境に身を置き続けても好転することは難しい…。その後の人生設計、家庭状況を考えるとどうしても将来像を描けず、早期退職を選択しました…。

 

――50歳を目前の英断…。その後、損害保険会社に転職。示談代行という以前とは全く異なる業務内容となりました。

 

緑川 正直なところ、この年齢で雇ってくれる会社には中々巡り合うことは難しく、離職期間は8ヶ月に及び、焦りと不安だらけだったのを今でも覚えています。

 

 藁をもすがる思いで見つけた転職先でしたが、電車通勤、内勤業務、示談代行のストレス。離職者も多いので、人手不足により、自分のキャパを超える仕事量(自分が一人前になれていない)、ハイペースで、しかも不意に回ってくる新規案件…。

 

 心身ともに疲弊していくのを感じましたし、あれだけ好きだったバイクにも乗らなくなり、土日は布団の中で、スマホで動画を見るだけの現実逃避。

 

 壊れそうになっている自分を救うため、1年8か月で退職。まさに人生のドン底と言えました…。

 

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1999年、石川県 千里浜なぎさドライブウェイ(KAWASAKI GPZ900R Ninja)
 

――先行き不安の中、HPを見た事がきっかけで2019年4月から「株式会社Few's」で再び営業職に就かれています。

 

緑川 最初の転職の時に求人情報でFew'sの存在には気付いていました。また、代表と同じ名前だったこともあり、気になる会社ではありました。

 

 年齢の壁も相まって、サラリーマンとして再就職しても、退職金をもらえる可能性は低い。ならば、歩合の世界で稼ぐことが最良だなと。

 

 Few’sは学び、教われる環境であるのはもちろん、自分の出した結果が報酬として得られる。それに加えて、独立を目指してチームビルティングができるもことにも非常に魅力を感じました。

 

 とは言え、先の見えない恐怖だらけの中Few'sに飛び込みました。

 

――転職から2年が経過されました!現在の働き方や心境と合わせてお聞きしたいです。

 

緑川 様々な商材の営業を行っています。今は自分がメンバーを率いて、独立ができるフェーズ。

 

 メンバーが高いモチベーションを持てるよう、月に50万~60万円稼ぐことを目標にまず自分が結果を出すように努めています。

 

 また、結果で指し示すだけでなく、私自身がこれまで培ったスキルの伝達。私自身も経営者として必要な考え方、ビジネスマネジメントを学び、それらもチーム員に伝えています。

 

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お気に入りのヘルメット!全身スパイダーマンでいわきから埼玉まで疾走したとかしないとか

 

――今後も継続して独立に向けて邁進されていくことと思います!さいごに、改めてこれまでの人生を振り返って思う事はございますか?

 

緑川 正直、学生時代から順風満帆に生きてきました。好きな野球にとことん打ち込み、バブル経済が追い風となり、25年間勤めた製薬会社での経験。

 

 しかし、時代の変化によって人生で最大の分岐点と絶望を味わいました。

 

 今は自分の努力次第で将来が変わってくる環境。一番の面白みは現場で得た学びを更なるステップアップに繋げるのが楽しいです。

 

  将来は所さんの世田谷ベースのような、好きな車やバイクに囲まれ友人が集う場が作れたらなんて考えています。その実現のためにも、言い古された言葉ですが、絶対に諦めないこと。どんな夢であっても、止めてしまってはそれまでですよね。

 

 これからの人生をより良いものにしていきます!

 

 

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