皆さん「日本三大銘茶」をご存知でしょうか?宇治茶・静岡茶・狭山茶。今回お会いしたのはその狭山茶の製造販売を手掛ける『宮野園』5代目、宮野圭司(みやのけいじ)さん。
埼玉県狭山市に生まれ育ち、18歳から家業を継がれました。その歴史は古く、明治2年に東京都神田に出店しスタート。ダイオキシン問題や東日本大震災などの環境問題に揺さぶられながらも、1世紀以上が経過しました。
「お茶はコミュニケーションツールのひとつ」と語る、宮野さんの人生をお伺いしました。
――本日はよろしくお願い致します!高校卒業後に『宮野園』を継がれました。その経緯、当時の心境は今も覚えていらっしゃいますか?
宮野 幼少期の頃からいずれ「家業を継ぐだろうな」とは思っていました。春になるとお茶摘みさんがいらっしゃって、軒先に茶葉が山積みになったり。自分でお茶を摘んでいた記憶もあります。
高校卒業後、予備校生活を送っていましたが、先の人生を悩む年齢じゃないですか。当時、「とりあえず大学進学」という感じでした。だからと言って入学後、具体的になにかしたいことがあるわけでもない。
そんな中、大学進学した友人、一緒に浪人生活している仲間と人生や将来についてよく語り合いました。
次第に、「早いうちから働くのもありなんじゃないか?」、「稼いで車を買いたい!」とも思うように。そうして茶業の道に入りました。
【PROILE】
宮野圭司(みやのけいじ) 1968年7月生まれ/埼玉県出身
山王中学校→豊岡高校→(有)宮野園。日本茶インストラクター。日本茶普及協会茶育インタストラクター。全国茶商工業協同組合連合会認定。全国手もみ茶振興会。『Re:OCHANOMA project -お茶の間復活プロジェクト-』代表。(写真:宮野さんFBより引用)
――狭山が誇る狭山茶ですが、製造の裏側を知る機会は滅多にありません。1年を通して、どのようにして消費者に届いているのでしょうか?
宮野 当社では、茶葉の一次加工を契約農家さんに委託しております。その後、買い取らせて頂き仕上げ加工。茎茶、粉茶、煎茶などに選別。その後、乾燥や焙煎を経て、袋詰めにして全国のお茶屋さんや一般家庭に届けております。
一番の収穫時は5月。それまで毎日お茶のテイスティングをしています。手で触れ、香りを感じ、色を見る。そして、値段をつける。実は、狭山茶は生産量の1%にも満たない、すごく貴重なお茶なんです。
「狭山市は冷涼な気候なので摘採が年に1回や2回なんですね。他の地域では5回や6回と比較的多い。特徴としては、葉肉が厚いため、味が強い。つまり、コクがあるのが狭山茶です」
――創業から今年で152年が経過…。宮野さんで5代目となりますが、「継ぐ」という意識や想いをお伺いしたいです!
宮野 今は「継ぐ」とは別に狭山茶をいかに次世代に「繋ぐか」という意識が強くあります。
近年、お茶を急須で飲む方が減っているのが事実でして、事業も時代に合わせて変えていかねばなりません。
現在はカフェや飲食店さんとコラボしてメニュー開発。その食事にあったお茶のご提案を行い、より多くの人に触れてもらう機会を創出しています。
――2012年に立ち上げ代表を務める『Re:OCHANOMA project』-お茶の間復活プロジェクト-。同団体も後世に残すためのアクションの一つでもあるのでしょうか?
宮野 「おうちで狭山茶」と題して、ご家族でお茶を楽しく淹れて学ぶイベントを企画しています。
現在、対面でのイベントが厳しい状況ですが、終息したら直接香りや、風味を感じて欲しいですね。
―― 御社のHPに”お茶はコミュニケーションツール”と記載がありました!同団体名にも『お茶の間復活』とあります。
宮野 僕が子どもの頃、多くの家庭でご飯の後、ご両親、もしくはおばあちゃんが「今日はどんな一日だった?」と、お茶を淹れながら会話をする。または、毎朝お父さんがいれたお茶を飲んでから学校に行くなど、家族のコミュニケーションとしてのお茶が当時存在していました。
ですが、今では外食をした際、お子さんがゲームをしたり親御さんがずっとスマホを目にしている姿をよく見かけます。「核家族」という言葉もあるぐらいですし。それをお茶でなんとか解決できないかなって模索しています。
――たしかによく見かける光景ではあります…。コミュニケーションと言えば、日本茶は日本文化のひとつとしても海外でのポテンシャルを秘めてそうですよね!
宮野 よく留学経験のある方から「自分自身が日本文化をよく知らなかった」とお聞きすることがあります。今後、英会話はAIの発達によってより、簡単になってくると思うんですよね。
日本の文化。いかに、自分のアイデンティティを表現できるかが重要になってくる気がしています。
そんなときに、急須と日本茶でおもてなしをすることで非言語のコミュニケーション。相互理解に繋がりますよね。
――僕もオーストラリアに留学経験がありますが、言語以外の独自の表現があればと思いました…。
宮野 なにより、互いにお茶を淹れる。それは意外と相手を知る行為でもあるんです。お茶の研修で講師で出向いた際、受講生の方たちに見ず知らずの人とお茶を淹れてもらっています。すると、自然とその場が和み、仲良くなって会話が進むんですよね。
「はじめまして」で始まる会話も良いのですが、小さなギブアンドテイクと言いますか。そんな瞬間を目の当たりにしてみるとシンプルな所作にも関わらず、深いコミュニケーションがとれるんだなって。
――これまでお茶一筋の宮野さん。変な質問ですが、「辞めたい…。転職しようか?」とよぎったことはないのでしょうか?
宮野 それはないですね。やっぱり楽しいし、好きなんです。
毎年同じ味をつくろうと心がけていますが、本当に難しい…。一筋縄でいかないからこそ、深みもあります。
なにより、お客様からの『宮野園のお茶美味しかったです!』このお言葉が一番嬉しい。お茶摘み体験に再度ご参加頂いたりとか。SNSでの繋がりも見えるのでやりがいは多いです。
「毎朝、体調チェックを兼ねて、同じ茶葉を同じ淹れ方をして飲んでいます。旅行中もそうしています。ここ30年は欠かしてないルーティンです」
――最後に若輩者の私が聞くのも恐縮ですが、今後の展望をお聞かせください!
宮野 希望としては、狭山茶を用いていろんなご家庭でコミュニケーションが生まれ、地域全体が明るくなってほしいです。
以前は、同業者同士の競い合いのようなものがありました。ですが、今では共に協力し、情報共有も行っています。
「より良い狭山茶」を後世に繋ぐことを語り合える仲間たちと、共に業界を盛り上げて行けることにワクワクしています。