例え隅っ子の役だとしても
演劇と出会ったのは中学生の時。その後も演技を続け、現在は劇団文化座に所属している松永佳子(まつながかこ)さん。
プロとして活躍するには厳しい世界。主役にキャスティングされるのも数年、或いは数十年かかることもありえる。
主役は花形ポジションと言えるかも知れないが、主人公ひとりだけで進む物語はない。
「もちろん、主役を演じる充実感や楽しさはあると思います。でも、目立たない役にも、その子の人生が物語の中にあると思うんです。お客様が楽しんでいただくことに、役の大きさは関係ないんじゃないかなって」
大学を卒業したのは今年の3月。まさに、これから。演じることやこれまでの人生を伺った―――。
演劇との出会い
――中学生の時に演劇と出会ったとお聞きしました!その当時のことをお聞かせください!
松永 当時私は、吹奏楽部にいたのですが、高校演劇の全国大会常連校のOBの方がいらっしゃいました。
その方は1年生でありながら主役を担っていました。練習後に突然、ピアノを弾きながら歌われていたんです。歌の上手さや迫力はもちろん、その姿がかっこよかったです。
その瞬間、『私もお芝居をしてみたい』と、演劇の世界に引き込まれました。
えっ!?おばあちゃん役?
――演劇に力を入れている高校に進学。部員60人を超える中、後に副部長も務められました。ちなみに最初の役は覚えていますか?
松永 60歳のおばあちゃん役でした(笑)。”春から夏に変わるシーンで踊って捌ける”という場面でした。
『えっ!?おばあちゃん役…?』と、最初は驚きました(笑)。
ただ、その作品におけるおばあちゃん役は私だけ。『極めたら面白いかも知れない』と思い、いかにおばあちゃんぽさを演出できるか研究しました(笑)
1500人のホールで初の演技。緊張よりも楽しさが上回っていました。
最後、観劇して頂いた方のアンケートで”気になった役者”の欄に、『春から夏に変わるシーンに出てくるおばあちゃん』と、書いてくれた方がいて。
名前もセリフもない役でしたが、お客様に見てもらえる喜びを感じました
”その世界で生きる自分”になる
――3年生になり、メインも脇も経験したことで役の大小は関係無いと心境の変化があったそうですね。
松永 脇役が多かった私ですが、役に近づく感覚が好きでした。その世界では端っ子の人物かも知れませんが、しっかりと物語の中で生きているわけです。
『脇役だからテキトーでいいや』と卑下してしまっては、その役に可哀そうですし、なにより見ているお客様に対しても失礼だなと。
そこで改めて演じる楽しさを知り、演劇を続けようと思った瞬間でした。
激動の大学1年目
――桜美林大学に進学。1年間の文学座附属演劇研究所の夜間部で演技レッスンに加えてアルバイト。好きな事を選ばれましたが、多忙な生活でしたね。
松永 ある日緊張の糸が切れたのか、1か月ほど大学や文学座、アルバイトにも通えなくなりました。
ただ、その時期は卒業公演間近のときで高校時代の友人たちから『見に行くね』。と、連絡をもらっていました。『ここで諦めてしまっては失礼だな』と、思い卒業公演に向けて練習と大学も再開しました。
2分間の演技。報われた瞬間
――卒業公演後に行われるオーディションで芸能事務所や、劇団事務所からオファーが無ければ学業に専念しようと決めて臨まれました。その当時のことを今でも覚えていますか?
松永 約2分間にこれまでの想いなどを注ぎました。そして、光栄なことに今所属している劇団からご連絡を頂きました。
高校時代は、お客様に魅せることを意識したミュージカル。研究所では、舞台の上でその世界を作り上げるような会話劇。どちらも素敵で大好きなんです。
その両方を兼ね備えた劇団に中々出会えなかったのですが、それを表現していたのが今の劇団でもありました。
自分の道を認めてくれた場所で
――自分がより向上できる環境というのは大事ですよね。
松永 とても大事だと思います。加えて、大学に通いながら受け入れてくださったことも大きかったです。
文学座研究所に通っていた時、「大学に通っているのは芝居がダメだったときの保険なんでしょ?」と言われたこともありました。
そういった悔しさがあったので、 劇団に所属する際に「大学を辞めることも考えています」と、伝えた際の返答が今の糧になっています。
――どういったお言葉だったんでしょうか?
松永 もしも、大学が舞台や将来の妨げになるのなら退学しても良いと思います。ただ、その費用は恐らくご両親がお金を出してくれたんだよね?大学でしか学べないこともたくさんある。その学びが松永さんの強みにもなる。同期とはスタートがズレてしまうけど、長い人生で見れば22、23歳の時に芝居に出演した実績は関係なくなるよ。だから4年間で卒業して劇団で頑張ってください。
もう電話口でしたけど、大号泣でした。このような事を言ってくれる人が所属する劇団ってすごい素敵だと思いました。改めてここで頑張りたいと強く思いました。
日本語教師生活inモンゴル
――大学2年生から劇団文化座に所属。以前にも増して学業にも尽力しようと、日本語教師としてモンゴルで教壇に立たれました。
松永 演劇とはまったく違う世界で面白そうと思ってはじめました。現地に行ったことで、お芝居に対する考え方がガラッと変わりました。
日本語を使って発表をする授業で演劇がしたいと、クラスの生徒達から『千羽鶴』という作品を提案されました。
元々劇団で扱っていた作品で、思い入れもあったのでまさかこの作品を選ぶとは思いませんでした。1時間以上ある物語なんですが、なんとか10分程に短縮して台本を作り、1か月間生徒たちと共に作り上げました(笑)
作品は国境を超える
――この作品調べましたが、とても重い作品ですね…!加えて、生徒達からは劇中に使う曲も提案もされたそうですね
松永 その題名も、『千羽鶴』でした。モンゴル語で歌われている曲でしたが、生徒達が和訳して持ってきてくれました。
実は、その曲の存在を知らなかったんです。作品と実際の繋がりがあるのかは分からないのですが、作品の内容に詩が寄り添ったものでした。
モンゴルで日本の演劇との繋がりを感じれるとは思っていませんでした。日本語教師の面白さもですが、演劇の可能性や見方を変えるキッカケにもなりました。
お客様に届く作品とは
――今年の3月に大学を卒業。その後は、東京公演を皮切りに旅公演で九州を周られました。現在は、準劇団員として主に衣装スタッフや受付業務などがメインだそうですね。
松永 これから徐々に舞台出演をさせて頂く機会が増えるかもしれませんが、演劇の世界しか知らない人になることに抵抗があります。
外の社会や慣習を知らなければ、作品作りや役作りの上でつまらないものになってしまうと思います。すると、一般の人たちに刺さるものを作れないと思うんです。そこに安住していは自己満足の世界に終わってしまう。
もっと広い世界に足を踏み入れて、演技の幅も広げていきたいです。
いつかプロとして会える日を
――時に演劇を辞めたいと思ったこともあったと思います。そんな時に、支えてくれた物はなんでしたでしょうか?今後の抱負と合わせて最後にお伺いいたします!
松永 お客様の存在が大きかったです。そして、お客様の反応を感じられる”舞台”という場所がすごい好きなんです。
将来、高校時代の演目後のアンケートで私の名前を書いてくれた人が、なにかの作品を観劇した際にプロでお会い出来たら嬉しいなと思います。
『あの子、プロになれたんだ!』と、思って頂けたらすごい幸せなことだなって。私がプロになれたことでその人の人生を左右することは無いと思います。
でも、どこかで過去と今がリンクして『あの時見てたよ』と、言われると嬉しいなって…!
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