人生に寄り添うサロン
沖縄県那覇市にある隠れ家サロンMirukuyu Spa(みるくゆーすぱ)を経営している関谷瞳(せきやひとみ)さん。
設計事務所、販売業、水商売のママと、紆余曲折の人生。
スパの仕事を始めたのは20代後半。東京都、宮城県、箱根など、全国のホテルスパのマネージャーや、立ち上げに携わり2018年12月に独立。
日頃の疲れを癒すスパはもちろん、女性にとって大切な子宮ケアも行っている。巷でいう”子宮系女子”とは違い、長年の経験と知識をもとにした本格的なケアをサポートしている。
施術中に大事にしているのは内側にある声との対話だ。
関谷 よもぎ蒸しの最中に、お話頂く言葉から子宮の声を感じています。現代社会に生きる女性としての悲しみや我慢した言葉たち。本当の部分は子宮にあるんだなと、常々思います。
女性が本来の自分を取り戻すことで、男性のみならず、社会全体も健康で幸せになっていくと私は考えています。
夢や希望は持っていなかった
――本日はよろしくお願いいたします!北海道、函館市出身とのことですが、どういった幼少期を送られていたのでしょうか?
関谷 元々は内気な性格でしたが、小学校5年生にサッカークラブに所属したことをきっかけに活発な少女になになりました(笑)
でも、将来の夢や目標、いわゆる希望のようなものは持っていませんでした。
母親が早くに亡くなっていた事で、将来に対する考える余裕がなかったんですかね…。工業高校のインテリア科に進学し、まわりは『専門学校に行く!』、『これがしたい!』という話をしていました。ただ、私自身は就職してお金を稼ぐという考えしか抱いてなかったです。
人との触れ合いの中で
――高校卒業後は設計事務所に就職。その後、販売職に就かれました!
関谷 そこでは、誰とも話せず、毎日設計図を創る日々。会話も音楽も無い空間で辛かったのを覚えています(笑)。
転職をきっかけに接客業のが面白さを知りました。お客様とのトークが売り上げに繋がる面白さ、仕事を通して人と接するなど、それまでになかった仕事の楽しさがありました。
肩書はあれど、同じ『人間』
――そんな接客の楽しさを知り、20歳からは水商売に転身。”究極の接客業”と言えるような環境だと思います。
関谷 会社の社長、アスリートの方など、普段出会えないような方たちと話をする機会がありました。
ですが、肩書や役職などの垣根がどんどん無くなっていったというか。肩書はあるけど、人は人だよねと。
『職種や年齢、性別は違えど腹を割って話せば通じる事ができるよね』。というのを実感できたんです。
今ではなく、”あの頃”に声をかける
――いくら著名な方でもひとりの人間。ですが、語弊のある言い方ですが、良いお客さんばかりではなかったのでは?
関谷 時にお客様から罵倒されることもありました(笑)でも、生まれつき心底悪い人っていないと思うんです(笑)
例えば、『奥さんや仕事がうまくいっていない』。という”今”にフォーカスするとただ、悩んでいる人。ですが、『子供の頃はどうだったか』、『本来はどういう風に生きていきたかったのか』という、その方の”過去”に対して問いかけるんです。
すると、違った側面が見えてくる。今に話かけるのではなく、昔に話しかけることで、素の部分と接することができます。決して色仕掛けではない、対人間同士の場が楽しかったです。
100万円握り締めて東京へ
――24歳から27歳まではママとしてお店を経営。ですが、新たなチャレンジがしたいと100万円を握りしめ、住むところも決めずに東京へ上京なさったんですね!
関谷 その時、ネットサーフィンで”アロマセラピー”というのを見つけて『なんだこれは!』と思いました(笑)
水商売をしながら合間にエステの仕事もしていたので、『やってみよう!』と。ここでの決断は間違いなく今に至る大きなターニングポイントのひとつでした。
なにかできることはなかったのか
――アロマスクール卒業後は全国のスパのコンサルやマネージャー、リニューアルの立ち上げに携われました。その頃、新たな発見が今の原動力となっているそうですね!
関谷 2004年にハンドヒーリングを用いて、がん患者や精神疾患の方へケアをしている先生にお会いしました。
私の両親は共にガンを患ったのですが、『これがあれば両親はもしかしたら、もう少し長生きしたのかな…』と、最近まで思っていました。
もしかしたら、セラピストという仕事を通して、両親のために自分ができたことを探していたのかもしれません。
両親の経験からお客様には、病気になる前のケアやセルフケアの大切さもお客様に伝えています。
ゆいまーるの精神
――沖縄県に再移住されたのは2018年。瀬長島、ウミカジテラスにてスパを運営されていました。沖縄に再移住されたきっかけを教えてください!
関谷 これまで、シンガポールやタイ、中国、オーストラリアなど、世界の伝統療法を現地で学んできました。
ですが、沖縄に住んでいる方たちが持つ、愛や人に対するおもいやり、”ゆいまーる”の精神。
どの国や地域と比べても、特に人との繋がりを大事にする土地なんですね。この場所に私がしたい施術があるんじゃないかなと思い移住を決めました。
集大成を表現したい
――2019年9月に独立し「Mirukuyu spa」を立ち上げ。独立の経緯はどういう意図があったのでしょうか?
これまではホテルでのスパがメインでした。そこではホテルの人間として求めらる佇まいが不可欠です。すると、本来の自分とは遠のき、体も緊張して自分が行いたい施術が中々できませんでした。
そこで、今までの集大成を表現したいと、思ったのが大きなきっかけです。今は完全に一人で営業していますが、とても充実しています!
子宮は宇宙とつながる場所
――女性のみ1日3組限定のMirukuyuSpa。リラクゼーション、デトックスコースがあるが、特に反響が大きいのは子宮ケアコースだそうですね。
関谷 以前、管理職をやっていたとき、ストレスや不規則な生活が影響し生理が半年来ないことがありました。ただ、それに対する痛みやイライラに女性は慣れちゃうんです。
それでいて、ほかのところが痛いと『あっ、病気かな?』と思う。なのに、子宮になると思わない。自分の内側からの異変には気づかない。ですが、子宮を日々ケアするこ妊活や婦人系の病気のリスク回避に繋ります。
今も、両親への想いがあるので未病に対する意識を皆さんに持ってほしいです。
魂にもう一度、命を吹き込む
――水商売をなさっていた頃、人対人のやりとりの充実さを感じられていました。セラピストとして働く今も、その点は変わらないですか?
関谷 変わらないと思います。より、話を聴くことを大事にしています。
お客様に”教えたい、伝えたい”ことを重要視するセラピストさんもいますが、ただ、私は聴きたいんです。どんな人生を歩み、今どんなことを思いながら生きているのか。
それらをお聴きし、再び命が輝く瞬間に立ち会え、その人らしく生きていく姿を見ていくことが私の仕事のやりがいです。
今思うと、10代、20代は人生経験、いろんな引き出しが欲しかったのかもしれません。お水やスパも多様な人達の苦悩を聞ける。そこに触れたかったんだと思います。
どこに向かっているかはわからない。けど、なにかに向かっている
――今後の目標、またどういったことを大事に仕事をされて行かれますでしょうか?
関谷 今、思うのは様々なお客様に対して、『大丈夫だよ』と。プラスな要素をお伝えできたらと思います。そのためにも、まずは自分自身がその希望となる存在になれたらなぁと(笑)
これからどこに向かっているかは正直わかりません。ただ間違いなく、その未来には何かがあると思っています。
振り返った時に、私がなにをしたかったのかが判明するんだと思って日々を生きていきます!
***Mirukuyu spa***
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