鹿児島県、鹿児島市にて昭和41年創業以来、文具紙製品・OA機器・オフィス家具を扱う株式会社はやま。同社二代目の代表取締役、羽山晴彦(はやまはるひこ)さんにオンラインインタビューを行いました。
今回この機会を作って頂いたのは同社で勤務し、「おすそわけマーケットプレイス・ツクツク」代理店の荒瀧美雪(あらたきみゆき)さん。当日はモデレーターとして同席して頂きました。
とにかく人から求められる人生。そう言えるほど、業界問わず羽山さんには「協力してほしい」の声が届きます。多くのオファーを快諾し、その根底にあったのは人としてどうであるか――。
現在は3代目となる息子様が入社。2代目としての歩み、この先の未来の「はやま文具」をお聞きしました!
――本日はお時間頂き誠にありがとうございます!早速ですが、羽山社長。どのような幼少期を過ごされたのでしょうか?
羽山 双子の長男として産れ、どちらかが継ぐだろうな。と子どもの頃から意識していました。覚悟が生まれたのは高校受験の時。父から「商業高校に進学したらどうだ?」と言われた時に自分が継ぐんだ。と明確になりました。
――鹿児島商業高校に進学。甲子園出場の夢もあり、野球部に所属されました!
羽山 男子校で当時新入部員が約100名。ですが、夏までには20名位しか残らない状況です。心身共に非常に鍛えられました。私自身は持病のため退部を余儀なくされるのですが、良い想い出が詰まっています。
今でも夢に出てきますし、先輩・後輩の繋がりは強いです。「鹿児島商業卒業生」と聞けば、なんかしてあげようとも思います。
ここでの出会いは後に仕事にも繋がるのですが、高校時代には想像していませんでした。
――高校卒業後は広島経済大学に進学されました。なぜ、地元を離れ誰もいない環境を選ばれたのでしょう?
羽山 友達や親もいる。それではなにも変わらないかなと。そこも人生において重要な選択だったと言えます。
下宿生活、アルバイト経験、時に死にかけることもあったり。大学では軟式野球部に所属し、朝から晩まで先輩の身の回りのお世話をしました。
特に印象的だったのは1年生の出来事。ある事件が起きて退部を考えたのですが、2年生の先輩が「お前は辞めるな。頼むから残ってくれ」と。
上級生のところに誤りに行き、そのまま継続することになったのですが、そこまでして引き留められるのはなにか理由があったんだろうなと。
――どんな場面であれ、人から必要とされるのは嬉しい事ですよね。ちなみに学業においてチャレンジや学びはございましたか?
羽山 学業で得たことはあまりなかったかも知れませんね(笑)。1年生のときは大学の仕組みもよくわからない。時に試験にも行かなかったり(笑)。留年する可能性もありましたが、なんとか4年間で卒業できました。
やはり、部活動を通じての礼節、アルバイトで培った社会人のマナー。人としてどうあるか。そういった学びが大きかったです。
――九州に戻り、福岡リコーに営業職として入社。当時の心境など覚えていらっしゃいますか?
羽山 弊社の仕入先でもありましたが、試験を受けて入社しました。
バブル経済真っただ中で同期は約100名近く。トータル2年間勤め、朝早くから夜遅くまで飛び込み営業。とにかく行動力が培われました。
とは言え、入社当時は元々口下手な性格で話すことが得意じゃありませんでした。ですが、新人研修で上手に話す先輩を見て率直にすごいなと。
後日、営業先でその先輩の指示通りの動作などを行ったのですが、うまくいかずお客様から怒られる。もう辞めようかなと父に相談しました。
――どんな言葉が返ってきたのでしょうか?
羽山 「いいか?晴彦、上手く行こうと思うからダメなんだ。断れるのが当たり前と思って行かないと」と。
ダメで元々でも良いじゃないかと思えました。失敗しても、とにかく行動に移せば次に繋がるんだなと。
当時は楽しさよりも、とにかくやらなきゃいけない。いかに展示会に足を運んでもらい、自社のユーザーになって頂くのか。ノルマなど厳しい環境でしたけど、大きな学びを得ることができ感謝しています。
――そして、24歳の時「株式会社はやま」に入社。前社で培った営業力を武器に新規開拓に注力。どの社員よりも朝一番に出社されるなど、現場に身を置かれました!
羽山 売上を上げることで両親が喜ぶ姿を見られる。それが私の喜びでした。そのためにも、まず自分が結果を出さなければ社員もついてきてはくれません。
兼ねてより取引があった民間企業、国家機関、行政とも継続させて頂きながら、平成に入り新規事業として機密文書の出張裁断を開始。おかけさまで機密文書の出張裁断では県内ナンバーワンになりました。
今は文具ナンバーワンを目指し、取り扱い商品は文房具だけでなく、最近ではコロナ対策用品も取り扱っています。
――近年ではツクツクを利用して通販をスタート!恐らく荒瀧さんのアクションが参入の背景になったかと思います。
荒瀧 私が入社してもうすぐ10年。羽山社長、専務、会長にもお世話になり、大きな恩があります。その中で自分がいた証、また今後に向けて確立したものを残したい。
模索する中でツクツクを知りました。デジタル資産として残せるモノと、リアル店舗に加え、ECの導入は更なる可能性を感じました。社長にご相談させて頂き、参入する運びとなりました。
今後は弊社が掲げる想いの部分をネット上でも表したいと思っております。
ツクツクショップページへ↓↓
――ツクツク導入もさることながら、経営判断においても数多くの取捨選択をなさってきたと思います。その際、軸となったものはございますか?
羽山 人としてどうなのか。ですかね。これまで逃げ道もたくさんありました。
厄年に鹿児島商業高校の同窓会実行委員長を勤めましたが、開催費用は約1千五百万。その中で自事業を継続させなければならない。
一度は断ったんですけど、同級生が集まって「羽山頼む、やってくれ」と。その姿を見ると「やってみよう」と思えました。これまでPTA会長をしたり、現在は鹿児島市倫理法人会の会長も行っていますが、その都度新しい出会いがあります。
そのように頼まれた事は引き受け、しっかりと行うことでチャンスも生まれる。逃げることはいつでもできる。
大変なときには絶えず誰かが横に居てくれる。私自身もそうでありたいですし、人間として一番大事なことだと思います。
――現在は3代目が入社されました。どんなことを期待していらっしゃいますか?
羽山 彼はSNSコンサルなど、お客様のニーズを形にすることができる。既存事業と並行し新たな売上獲得が見込めればいいのかなと。
物怖じしないところを見ると親子だなと感じます。私が20代半ばの頃は、営業先で文具の話はできましたが、多方面の分野に興味を持って話す姿を見ると期待はあります。
顧客の創造を絶えず行う。文具に限らず、お客様が求めるものを提供する。「あそこに行けば相談できるし」と。そういう企業になっていきたいです。
――ネット中心の時代となっていますが、やはり人と直接話す力は不変ですよね。最後に社長自身の今後の展望はございますか?
羽山 父から継いだこの事業をどう継続させるかが課題です。やはり働く事が人生。日々仕事の中に喜びを感じられ、従業員やお客様にもその幸せがあって欲しいです。
引退したらボランティアや鹿児島のためにとか。地域のために時間を使いたいなと思います。人が大元になく、すべて自分の為ではあってはならないですよね。
よく考え、人のためになることを行えば自分に帰って来る。そこの原点に立ち返れば物事は良くなるのかなと。
――本日はありがとうございました!そして、荒瀧さんも今回、羽山社長をご紹介頂き、改めて感謝申し上げます!
荒瀧 ツクツクに参入しているのは県内で70社ございまして、素晴らしい方や優れた経営者も多いのでどなたを紹介しようかと考えました。
私が勤めているからという理由だけでなく、これまでの歴史を垣間見て羽山社長しかいませんでした。
真面目、素直、優しい。周囲の方々から頂く言葉ですし、慕ってくれいている方も大勢いらっしゃいます。日々感じている所が私自身も多いので今回ご紹介させていただきました。
こちらこそ、素敵な機会をありがとうざいました!
はやま文具 SNS
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Writer
高橋郁弥 1991年12月25日生まれ
東京国際大学卒業。2018年インタビューサイトcarpediem立ち上げ
述べ、100名様近く取材、写真撮影を行う
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