世界の山々を駆け巡る
私と同じ大学の後輩にあたり、トレイルランニング。(通称、トレランと呼ばれるこのスポーツは、トレイル=未舗装路を意味し、山道や林道、砂利道などを走り、ゴールにたどり着くまでの速さを競い合う)とスカイラニング。(トレランと比べより、急峻な山岳地帯で行われる競技)というスポーツで注目されている選手だ。
2017年香港で開催された、スカイランニングアジア大会で銅メダルに輝き、2019年8月にはトレラン世界最高峰の大会と名高い”UTMB®CCC”に出場予定だ。
陸上との出会いは小学校6年生。その後の学生時代も陸上一筋。今でこそ”世界で活躍するアスリート”と評されるが、その道のりは怪我に苦しみ、足が一歩も踏み出せない状態にまで陥った。
その状況から如何にして、再び走りだしたのか。今彼が見る景色は一体どのような風景なのか。自然の中を走る事に魅了された長田さんの現在とはーーー。
塀をのぼり、秘密基地を作る少年時代
出身は東京都文京区。幼少期から足が速く、常に運動会のリレーではアンカー。小学校入学後はサッカーや水泳も始めたが、なにより足が速かった。小学校6年生のときに両親の勧めで、陸上のクラブチームに通い長距離をメインに習い始めた。
純粋に楽しんでいた、走るということ
中学校入学後もクラブチームに所属しながら、2年生のときにランニング部に入部し部長を任された。
「クラブチームでは個人としてタイムや大会に集中していました。一方、部活では皆を引っ張りながら、結果よりも走る楽しさを感じてもらえるように活動していました」
都内で行われるマラソン大会に部として参加し見事優勝。卒業する際には、スポーツで秀でた活躍を評され賞状も授与。
「ただ、成長期ということもあって徐々に怪我が増えました。1か月練習しては、1か月休む。そういう中で都大会や都内の駅伝に出場したり。それでも、走ることが純粋に楽しかったです」
怪我に泣いた3年間
長距離で更なる高みを目指すため、有名な指導者がいる高校に進学。華々しい部活動生活が待っているかと思いきや、悔しい思いを味わい続けたそうだ。
「なにもできず、なにひとつ結果を残すことなく卒業しました。高校時代にも怪我が頻発し、貧血も発症するなど、万全な状態を一度も作れずに卒業しました」
休養を取り、練習を開始したかと思えば違う箇所が痛む。走りたくても走れない。この状況が3年間続いた。
「センスもあるし、調整をすれば結果も出る。なのになぜ、いつも怪我なんだ」周囲からの期待に応えられない自分を悔いた。
「当時は非難的な言葉もあれば、励ましの声もありました。その中で『箱根駅伝に出てね』。と言ってくれた事は今も印象に残っています。怪我は治っていませんでしたが、いずれ回復するだろうと信じて箱根駅伝出場を新たな目標としました」
走れない。待ち受けていた人生のどん底
箱根駅伝出場と、将来はスポーツ関係で働きたいと考え、東京国際大学スポーツ科に入学。新天地で新たに走り始めたかに見えたが、度重なる怪我は彼の心にも影を落としていた。
「ウェアを着て、いざ走ろうと思っても足が動かないんです。なんとか、ジョギングしても数分で息が絶え絶えになったり。怪我もいつかしか癖のようになり、精神的な部分でも走れなくなりました。ただ、これまでの学生生活で結果を出せなかった分、なんとしてでも箱根駅伝出場し、結果を残すことだけ考えていました」
しかし、体調は一向に回復しない。休部もするが、怪我と精神的な部分の回復には至らかなかった。そして、満足に走ることないまま2年生の秋に退部した。
「それまで陸上一本に集中してきたので、この先どうしたら良いのかわからなかったです。ただ、見返したいという想いが強かったのは今でもはっきりと覚えています。なにか大きなものを成し遂げたい。でも、なにをしたら良いのかわからない。大きな挫折を味わいました」
今、できることはなんなのか
今は走ることができない。ならば、できることはなんなのか。ゼロ地点に立ち返り見つけた答えは勉強だった。
「まずは知識を蓄えようと思いました。元々スポーツ関係で働きたかったですし、新たな道が見つかると思ったんです。中学時代から栄養に関しては独学で学んでいましたし、大学ではより専門的なことも学べる。どんどん勉強にのめり込んでいきましたね。その成果もあり、健康運動指導士の資格を取得しました」
勉強以外にも自動車の免許を取りに行くことにした。一見普通に見える選択だが、今振り返ると、その時の思考方法が違いをもたらしていると話す。
「”今のうちに行く”という発想は重要だったと思います。”あとでいいや”ではなく、できるときにやっておこう。と。世界で戦う上で、今この瞬間にどういう準備ができるのか。それが結果を左右するんです。教習所の免許なんてかっこよくないですけど、些細なようで大きな気付きでした(笑)」
そうして出会ったトレイルランニング
一度長距離走から離れたことで心身共に回復。退部から1年後の、3年生の冬に再び走り始めた。
「復帰後は、一般的なロードレースに参加しました。ただ、以前のように具体的な目標全くなかったです。とにかく見返したい。それだけでした。だから、まずはひとつひとつの大会出場し、結果を出す。目先のことに集中していました」
そんなある日、次に参加する大会を探していると、トレランの大会を発見。幼少期に父親と経験したこともあり、すぐさま申し込んだ。
「応募する時にはすでにワクワク感が込み上げていました。俺はこれに賭ける。ただならぬ高揚感みたないのはありました」
新たな目標を抱き大学卒業
小さなトレラン大会に参加。これまでは、アップダウンもあまりない舗装された道。山の中では勝手が違ったが楽しむ自分がいた。
初の大きな大会はThe4100Dマウントレイルin野沢温泉。総距離数23キロに出場。ここでの結果がその後に弾みを付ける。
「それまでとは規模も違い、準備やコースも含めて本当にきつかったです(笑)ただ、6位でゴールを迎えられ素直に嬉しかったですし、それまで持っていた”見返す”。という気持ちに徐々に変化が現れました。新たな世界に挑戦する。そんな清々しい気持ちを抱くようになりました」
その後も、国内大会に参加。大学4年生の卒業間近には、香港で開催されたスカイランニングアジア選手権に一般枠としてエントリーし総合8位に輝いた。”翌年、出場して必ず表彰台に上る”そう目標を掲げ大学を卒業。
部活を退部し、一時は方向性を見失うも、トレランとスカイランニングという新たな世界へ踏み出した。
快進撃がはじまった
卒業後は健康指導士として週5日で働きながら、仕事終わりに練習に励み、土日は大会に出場の生活が始まった。
卒業後の戦績は実に華々しいものばかり。スカイランニング協会の派遣で韓国レースに出場し3位。その結果が評価され韓国の済州島のレースに招待され優勝。その間に、スカイランニング日本選手権準優勝。
2017年、”翌年、必ず表彰台”そう誓った香港大会に再び出場し、銅メダルを獲得。
2018年、以前出場したThe4100Dマウントレイルin野沢温泉に再戦。当時は23㎞のプログラムだったが、65㎞の部に出場。見事、優勝に輝いた。
徐々に舞台は海外に移り、台湾で開催されたフォルモサトレイル65㎞では、大会新記録を叩き出し優勝。
トレラン本場である、ヨーロッパの大会にも参加。世界中から強豪選手が集まった世界屈指のトレイルレース。トランスグランカナリアの42㎞で7位。イタリアのトップ選手が多数出場し、ハイレベルなレースとなったトレイルデルマルケザート38㎞で9位に入りトップ10入りを果たした。
大学卒業を皮切りに数々のタイトルを獲得。それまでの度重なる怪我が嘘だったかのように素晴らしい成績を掲げた。
人として大きくなりたい
レースに出場し、優勝を目指しメダルを獲得する。もちろん、それも大事だが、今は人として成長をしたいと話す。
「2018年、2019年はヨーロッパのトランスグランカナリアという大会にも出場しました。香港や韓国の大会を通して、徐々に『もっと広い世界を見たい』という気持ちが芽生え、レースだけじゃなく、観光や現地の人達と関わるなどの経験をしようと思い、イタリア、スペイン、スイスなどの周辺国も周りました」
海外選手たちとコミュニケーション。次第にその土地で体験できることや、現地の人達の会話。トレランだけでなく、もっと広い世界を見たいと感じたそうだ。
「学生時代は全く英語を話せなかったけど、最近はレース終わりに感想や、各国の観光地のおすすめの場所を話し合ったり、コミュニケーションもできるようになったんです。同大会で結果を残すこともできましたが、自分の世界や可能性を広げ、自分の成長を促進させる。そのことが、まさに生きる。ということなんだろうな。と実感しました」
世界で活躍し、日本を代表するトレイルランナー
トレランは年配層の方が多く、20代で世界で活躍する選手は今はまだ少ない。長田さんの今後の目標は、世界で活躍するアスリート。日本を代表するトレイルランナー。このふたつを目指している。
「漠然とした目標ですが、具体的な部分も見据えています。今年8月に開催されるUTMB®CCC。トレラン最高峰と呼ばれるレースで表彰台に立つ。国内では日本山岳耐久レースやUTMF(ウルトラ・トレイル・マウントフジ)などの大きな大会で結果を残すことがこれからの課題です。もちろん、国内外問わず僕よりもランクが上の人達も大勢います。なので、今後控えているひとつひとつの大会で競技力を上げ、成績を残していきます」
さいごー夢に捧げる時間
「世界で活躍するアスリートになる」。実はこの言葉、2年前に駅伝部を退部し、再び走り始めたころに東京国際大学の取材で発した言葉でもあった。当時の自分と夢を追うことについて、最後にこう振り返った。
「当時は見返したい。という気持ちのみでしたが、今は自分のために走っているんです。今も当時も世界で活躍するアスリートになる。その目標は同じ。復帰して最初のロードレースから今日に至るまで、目の前の試合に集中してきました。大きな目標を成し遂げることも夢なのかも知れません。ただ、近頃は大きな目標達成のために挑戦し、試行錯誤を繰り返す。その時間を過ごしている時、自分が掲げた夢の中を彷徨っていると思うんです。今、自分はふたつの目標を達成するため、日々時間と情熱を捧げている。僕は今、夢の中を走っているんです」