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江戸時代から続く16代目がトマト農家を継いだ理由―――決断の決め手は『死ぬときの自分』 榎本健司(42) さいたま榎本農園/農家レストラン菜七色


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農家の裾野を広げたい

 「野菜作りにゴールはない」。その想いを胸に刻み、埼玉県さいたま市『さいたま榎本農園』にて、父文夫さんのトマト農家を継いだのは榎本健司(えのもとけんじ)さん。

 江戸時代から続く16代目でもある。

 「『生産+α』という言葉を心掛け、企業や団体などとコラボしながら、子どもたちに教育や農業体験をしています。その根底にあるのは、『農家の裾野を広げたい』という想いからなんです」

 

 幼少期は「農家」ということでいじめられ、継ぐ事を拒んでいた。

 しかし、決断を余儀なくされたのは35歳のとき。そして、その先に待ち受けていたものとはーーー。

 

苦い思い出

 「小学生時代、クラスメイトから『どうせ、農家を継ぐんだろ』と揶揄され、『臭い、変な匂いがする』と言われることもありました。大人になっても当時の苦い思い出があった分、農家を継ぐことに抵抗がありました」

 

 そう抱きながらも、幼少期はよく畑の手伝いをしていた。

 

  「どこかで、『いずれは(農家を)やらないといけないんだよな』と本能的な部分で理解していたのかも知れません。『もし、父が居なくなったら畑はどうするの?』って考えたときに『俺しかいないよなー』と自問自答していたのを覚えています」

  

思い描いていた人生像 

 農業高校の食品科に進学。北海道酪農学園大学で畜産を学んだ。

 

 卒業後は地元、さいたま市職員として農業政策や技術指導などに従事。果樹の新品種試験栽培などを担当するなど、農業の世界を肌で感じていった。

 

 「就職後も農家を継ぐことは、うっすらは考えていました。ですが当時、勝手に想像していたのは、父が80歳頃で引退し、私が50歳で公務員を早期退職。その後、細々と畑をやれればくらいの軽い気持ちでした」

 

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迎えた決断の時

 しかし、突如として現実が突きつけられる。父である文夫さんにすい臓がんステージ4が発覚。その半年後にこの世を去ってしまう。

 

 「いよいよ、決断の時が来たと。例え、このまま公務員を続けるにしても畑の管理をしなければならない。元の生活に戻れないのは明白でした」

 

 ただ、その時の思考が今の人生や経営の判断の礎になっているそうだ。

 

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ハート型のミニトマト”トマトベリー”

 

「どう死にたいか」そう問いかけた

 宣告されてからの半年間、度々お父様の病室に訪れては多くのことを語り合った。

 

 「父の仕事の想いや家族に対する深い話。そして、『あれもしたい、こんな仕事がしたい』と口にしていました。その時間を過ごし、『果たして、自分はどう死にたいか』と思ったんです。親父は70歳で亡くなったんですが、当時僕は35歳。ちょうど人生折り返し地点なんだと。そう思った瞬間、違うスイッチが入りました」

 

 70歳で自分が死んだ時を想像した。そのとき、考えた理想のさいご。

 それは後悔のない人生だったと思えることだった。

 

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「レストランはおふくろの夢でした。父が亡くなって半年でオープン。きっと『今しかない』そう思ったんですよね」

 

チャレンジある人生を

 「死んだ自分を想像しました。まずは、農家を継いだ自分。きっと、大きなチャレンジをしたことで、後悔が少ないんじゃないのかと思ったんです。翻って公務員を選択した場合。恐らく仕事に追われ、畑に手が付かなくなり、最終的には売ってしまうんじゃないかと。『あの時なんでそんな選択をしたんだ』と悔やんでいる自分を想像しました。その時、農家を継ごうと決意した瞬間でした。」

 

 その決断にあったのは、社会貢献や自らの経験。一度しかない人生の醍醐味を選んだ。

 

 「人生における選択や経営判断に関しても『死ぬ時の自分』というのを想像します。そこからが新たな人生のスタートでしたね」

 

 

取引先から一方的な契約打ち切り。ビニールハウスが大雪で潰れた1年目

 そうして、トマト農家の人生を選択したが、その矢先に待っていたのは試練だった。

 

 「それまであった取引会社の9割切られたんです。徐々に減らす。とかではなくスパッと。父の名前であることが品質の信頼でもあったわけです。さらに追い打ちをかける如く、大雪で所有しているビニールハウスの半分が潰れました。被害総額は約1千万円。神様序盤から試練与えるなーって思いましたよ(笑)」

 

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お店の敷地を使っての流しそうめん

 

怯むことなく攻める

 一歩目からぶち当たった壁。後退するどころかその状況を逆手に取った。

 

 「そのときも10年後などの未来を想像したんです。『俺1年目のときに取引先ほぼ無くなって、更に雪でハウス潰されたんだよな』と飲み会の席で笑いながら話す自分を。そう考えた時、少し楽になったんです」

 

 具体的にはビニールハウスの面積を倍に広げた。さらに水耕栽培に切り替え、当時の最新の設備を導入。新しい農法も取り入れた。

 

 「新農法の設備費は一般的な設備費の3倍。成功への確約があったわけでもありません。ワクワクするチャレンジに望みを賭けました

 

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トマト以外にも様々な農業体験を行う

 

点が線になる

 新たなチャレンジが注目され、テレビや新聞などのメディアにも取り上げられた。

 なだ万、三越伊勢丹なども取引がスタート。2,3年目からは徐々に事業が軌道に乗っていった。

 

 現在は「教育と体験」という切り口から、アグリイノベーション大学校にて、新規就農者向けの講師も行っている。

 

 「これまでの人生の点がひとつの線になれたと実感しています。市役所での経験、さいたま市ニュービジネス大賞に応募しグランプリを取ったり、市民向け農業講座では市民の方とも触れ合いました。そういった事柄が今の教育に携われることに繋がっているんだなって」

 

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農家をかっこよく

 そして、一番強い想いは「農家の裾野を広げたい」。これに尽きるそうだ。そのためには、農家の持続的な収益が不可欠だそうだ。

 

 「とにかく、子供たちに農家の仕事に興味を持って欲しいんです。それは私ひとりでは実現不可能なわけで。なので、若手農家に対し収益構造の仕組みを共に作り、新しい可能性を一緒に模索しています」

 

 「やってみたい」を形にするには外せないお金の問題。決して想いだけでは、仕事の選択には到らない。

 

 そのため、榎本さんはこれまで培ってきた実績や、ノウハウを多くの農家の方たちと共有していき農業全体を盛り上げていきたいと話す。 

 

  「きついイメージが強い分、収入面が豊かでないとやりたい。と思う人は増えないと思っています。地元の農業高校で講師をした際、生徒70人に『将来農業やりたい人いますか?』と聞いたら、1人しかいませんでした。もちろん、まだ若く将来の事がわからないと思うんですが、衝撃的でした。昔よりも、農業のイメージはアップしていますが、職業としての魅力は乏しいんだなと。収入面だけじゃない、新たな農家の魅力をどう生み出していくのかが、今の課題です」

 

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さいごー作り出すのは家族の営み

 振り返れば中学生の時。

 いじめられ、農家に対して否定的だった頃にお父様とぶつかった。

 

 「『俺はこの家に産まれてきたかったわけじゃない』そう言ったことがあったんですよ。そう言われたことを父は引きずっていたみたいで。悪いことを言ったなと思いました。ただ、そう言ってしまう原因もあったわけで。そういった想いを自分の子どもたちには、なるべくさせたくないですよね。『お父さんのやっていること面白そう、やってみたいな』と前向きに人生を捉えられる環境を作ってやりたいですね」

 

 3K(きつい、汚い、危険)のイメージが強い農家の仕事。しかし、どうだろうか。そこで働く人の根底にある想い。手に取ったトマトからは感じることは難しいかも知れないが、生産者の熱い思いが込められている。

 

 そう、農家はかっこいいーーー。