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どんな人にも経験という歴史がある。その経験を書き記すことで人類にとって少しでもプラスになれるものを書いています。

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いつの間にかできていた居場所。お芋を囲む人々の暖かさ いも子さん(本名、村田洋子さん)(42)個人事業主

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お芋を販売する”いも子さん”

 冬は軽トラで無農薬の焼き芋販売。夏は人力発電かき氷の移動販売。そして、二児の母親。

 街の人からは、”いも子さん”の愛称で親しまれている。村田洋子(むらたようこ)さんにインタビューしました。

 お芋の販売を始めたのは2005年。戸田市児童センター、こどもの国にある公園前の路上で、14年間販売をされている。

 今日に至るまでお芋の販売を続ける理由、その答えのひとつに「居場所づくり」があるそうだ。見渡してみると駄菓子屋さんや、お肉屋さんなどの個人商店が閉店していく昨今。少子高齢化も伴い、学校以外での大人との空間が減っている。

 「今の若い人たちは、地元に帰っても『あっ、ここ私の地元だな』と、感じられる情景や匂いみたいなものが少ないと思うんです。お芋を販売することで、誰かの楽しみや笑顔。なにかの支えになれたら幸せだなぁって思うんです」

 

www.asamiya.org

 

 

自分を形成した出来事

 父親はアルコール依存症、母親は難聴を患っていた。父親が母親に暴力を振るうこともあったそうで、家族とのコミュニケーションがうまく取れず、「私の居場所はどこにあるのだろうか」そう悩む少女時代だった。

 「内向的な性格でしたけど、小学校では学級委員を務めたり、いわゆる真面目な生徒でした。家に帰ると一人っ子だったのもあり、寂しい時間が多かったですけど、学校は毎日楽しかったのを覚えています(笑)」

 

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番台のおばちゃん「あなたは大丈夫よ」

 自宅にお風呂が無かったため、銭湯に通う日々。番台のおばちゃんが唯一、辛い出来事を話せる相手でもあった。

 「小学校6年生の時にシンナーや覚せい剤などの防止映像を見たんですね。その映像の中で、『家庭環境が悪いと、子どもが荒れてしまう』という場面があったんです。どこかそれが自分と重なって、『いつか私も手を染めるんじゃないか』みたいな不安をおばちゃんに話したんですね。すると、『あなたは大丈夫よ』と言ってくれたんですよね。(笑)恐らく、確固たる根拠は無かったと思うんですが、子どもながらに救われました」

 

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自分として在りたい

 住んでいたアパートの大家さんの娘さんとは同級生。自分とは正反対の生活を過ごす姿を見て引け目を感じていたそうだ。小学生のときには担任の先生から学芸会で役を任されるも、『自分がやるよりも、あの子がやったほうが良い・・・』と考え、その子に譲る程奥手だった。

 「譲ったものの、どこかモヤモヤもあって。(笑)それを理由に、小・中と演劇部に入部しました。きっと、『わたしはここにいる!』って周囲に認めてほしいという想いがあったんだと思います。色々なコンプレックスを抱きながらも、自分は自分として在りたい。そんな葛藤がありました」

 しかし、高校進学後も、人間関係の形成、居場所づくり。自分がここにいていいのかと悩むのは変わらなかった。

 

お芋の販売を始めたきっかけ

 高校卒業後は、旅行業界の専門学校に入学するも明確な進路は見つけられず25歳になっていた。

 当時は派遣で3年間勤めた社員食堂を退職し、職業訓練校に入学した頃だった。

 数あるコースの中からフードサービス起業科を選択。ここで、今に繋がるターニングポイントを迎える。
 「自分でなにか、サービスを手掛けてみたいと思っていました。ただ、器量も無いので、開業することにもためらいを感じていました。卒業を残り1か月に控えた時たまたま本屋で、移動販売の焼き芋屋開業の本を読んだんです。すると、店舗デザインやメニュー、そこで販売している私など、次々とイメージができました(笑)その瞬間に『あっ!やろう!』と、思い動き始めました」

 そうして、こどもの国の前で、リヤカーを使っての販売をスタートさせた。

 

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販売をはじめた当初の様子

 

手を動かすからわかること

 お芋と調理する釜が味を大きく左右する。それまでは、本やネットの知識。最初から簡単に行くものではない。

 「実際に営業してみると、本やネットの知識と違っていました。仕入れも最初はスーパーのお芋を使用していたんですが、オープンして程なく「芋がちゃんと焼けていない」、「おいしくない」と、声が届きました。後々、気付いたんですが買った釜が偽物で(笑)。最初はそんなスタートでした」

 その状況でも、色んなお客様がアドバイスを頂き、新たに釜を購入し、リヤカーを改装したりと試行錯誤を重ね、徐々においしいと反響が広まった。

 

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販売やお芋の栽培など、お子さんもお仕事として手伝っている

 

これまでの14年間

 夏場は人力発電かき氷を販売しているが、そのいきさつも一風変わった物。とある小学生のひとことがきっかけだった。

 「その子のご家族は帰りが遅く、帰って来るまでよく営業中そばにいたんですね。その子が『暗い中、営業しているんだったら人力発電してみたら?』と言ったんです」

 ネットで人力発電かき氷機を製造している工房を見つけた。「子どもが喜ぶことをしてあげたい」と思い、2007年から移動式人力発電かき氷の販売も始めた。

 2010年には第一子が誕生。翌年は東日本大震災の影響で、一時は販売中止を余儀なくされる時期を経験。紆余曲折を味わいながらも14年間お芋とかき氷の販売をしてきた。

 

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コンプレックスが原動力にもなる

 誰しもの中に存在するであろう他者との比較。今でこそメディアや街の人からも親しまれる存在だが、20歳半ばまで他者との比較の中でもがいてきたそうだ。

 実はその比較こそがバイタリティの根源でもあるという。

 「なにもない自分に劣等感を感じていました。小さい時から抱いていた人間関係や居場所という悩みもいわゆる人との比較でした。ただ、お芋の販売を始めてみると自分が徐々に変わっていくのを感じられました。なにもない自分だったはずが、雑誌に出たり、テレビに出演したり。”焼き芋屋のいも子さん”になっているんです!」

 少しずつ自分の成功体験を積み上げてきたことで、過去のコンプレックスを肯定へと変化。マイナスもプラスに変わる。物事は表裏一体だ。


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見つけた自分の居場所

 「わたしがここにいていいのか」と悩んだ幼少期だったが、今では地域の人から「いつお芋販売するの?」と聞かれる。いつしか、自分に居場所が生まれていた。これまでの人生を感慨深そうに振り返った。

 「昔から考えたら不思議なことですよね。スーパーで擦れ違うと『今年はいつからやるんですか?』と、声をかけられるんです。体力的にもきつい仕事なので『今年も続けられるのかな?』と、ふと思うこともありますが、多くの方からお声をもらえると嬉しくて、今年もやろうと思えます」

 

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「もしかしたら、お芋にこだわっているわけではなく、居場所づくりが大きいかも知れません。そこにいる人たちの雰囲気とか暖かさ。あの情景が好きなんです」



さいご 小さな場所にある希望 

 開業当時買いにきていた子どもたちも20歳を過ぎ、一緒に呑みに行くこともあるという。”お客さん”という関係だけでなく、今も暖かな交流が続いている。

 「誰かが自分のことを知っている、気にかけている、というのはすごく大事なんだと思うんです。今では酒屋、お肉屋、八百屋、おもちゃ屋。 個人商店は衰退していくのが現状じゃないですか。だからこそ、小さくて消えそうなものを繋ぎたいんです。こじんまりとした中にも良いものがあり、その周囲には面白い大人もいる。今でも小さな時の寂しかった自分を思い出します。だからこそ、子どもたちにとって『ここにいけば元気になれる気がする』と、思える場所でもありたいです。私が小さい頃に行っていたお風呂屋さんみたいな」