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どんな人にも経験という歴史がある。その経験を書き記すことで人類にとって少しでもプラスになれるものを書いています。

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知識を蓄え、最善の策を患者に 葉優寿(27)臨床工学技士

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小学生時代は喧嘩したこともあったかも?

 小学校の同級生。私は兄が2人おり、彼もまた男3人兄弟の末っ子。小中と共に時間を過ごした。休み時間では、ドッチボールや鬼ごっこをして遊んだ。当時から負けず嫌いで、勝つまで辞めない様子を覚えている。

 高校は偏差値も高く、それでいて自由な校風のところに進学。ダンスに熱中しているとは友人の噂を聞いていた。彼が医療系に進んだと20歳頃、友達から聞いた時は、医療業界への道を歩んだ事に多少驚きはしたが、今回会って話を聞いてみるとどこか腑に落ちる部分があった。

 医療系とは思えない出で立ち。だがその容姿とは裏腹、患者さんの命を救うため日々研鑽を積む熱い男だ。

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小学校6年生時の修学旅行での一枚。


厳格な父の下育った兄弟3人

 小学校5年生からミニバスを習い、休み時間には同級生達とサッカーをしたり、とにかく外で遊ぶ元気いっぱいの小学生だった。一方、厳格な父親から、勉強に関しては幼少期の頃から成績に関しては厳しく言われていた。

 父親は国立大学卒のサラリーマンで、父親の弟は歯科医師。「小さいときから、医療関係は良いぞ。と兄弟3人刷り込まれていた。気づいたら兄弟みんな医療関係に従事している。」

 長男は県内にある病院で臨床工学技士。次男は薬剤師で都庁の職員で薬事行政として勤務。彼もまた長男と同じく、臨床工学技士として現在働いている。「父親からは”俺の血を継いでいるんだからお前にできないわけがない”と言われて育った。」

 

中学時代の彼と進路

 中学校入学後は、バスケットボール部に入部。「そこまでうまくなかったから、レギュラーじゃなかった。バスケは純粋に好きだったけど、人一倍練習するというわけではなかった。」

 勉強面では社会が理科が得意。常に成績も良かった。「高校はそこそこのレベルのところに入れればと思っていた。学校選びに迷っていた時、長男が通っていた高校の話を聞いたら、校風や学校の雰囲気などに惹かれ興味を持って、そこに進学した。」

 

ダンス漬けの高校生

 私服登校可能、髪色も自由。頭が良い高校だったが、大学生のような学校生活だった。「高校入学後はダンスにハマった。受験勉強している時にたまたまテレビで見た、”スーパーチャンプルー”というダンス番組を見た時から、徐々にダンスに興味を持ち始めた。」

 入学後はダンス部に入部。ポップを中心に、連日連夜ダンスに明け暮れた。「授業は全く聞いてなくて、テストは友人からコピーを取り一夜漬け。学業よりも、とにかくダンス漬けだった。」

 

徐々に見えてきた将来像

 没頭していたダンスだったが、それを将来に据えることは考えられず、高2年生の時自身の将来を考えた。「医療の道を幼少期から父親に言われ続けてきたが、自分の中ではイメージは湧かなかった。とは言え、他の選択も考えられず、作業療法士、臨床心理士などを調べたがなんか違った。その頃、長男が臨床工学技士になり、話を聞いて興味深い職種だなと感じた。」

 また座学だけではなく、様々な現場を体験できる事も惹かれた。「座学だけで得たものでは、その範囲内でしか興味を広げられない。実際に現場に出て、自ら動くことで得るものは増えると思い、そこの大学にした。」

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高校時代の体育祭での様子



学業とダンス

 卒業後は県内の医大に指定校推薦で入学。保健医療学部、医用生体工学科。4年生の3月には、国家資格である、臨床工学技士を所得するのが必須の学科だ。1、2年生時は理系の学部のため、数学や物理。加えて電気回路などの工学分野も学ぶ。

 3年生からは、自分で研究室を選択。彼は、医療安全と通信機器の分野を選んだ。携帯電話が医療機器に及ぼす影響、それに付随しどのような諸問題が起こるのかを実験をしながら知識を深めた。

 大学でもダンス部に入部。UDMという関東の医療系大学、おおよそ30数大学のダンス部の団体に加盟。発足以来、大学2年生時には最年少でリーダーを務めた。夏公演が年1回。それ以外にも、都内でダンスイベント。学内では、新歓や学園祭で披露するなど、精力的に活動した。

 

大学2年生、まさかの留年

 2年生になると、学内実習が開始。そのレポート提出が在学生の難関のひとつ。「毎週の水曜日に実習し、翌週の月曜にレポート提出。トータル20枚、30枚を手書きで行う。ダンスもしていた事もあり、普段から遊びまくってた。それで土、日の夜に書き始め、間に合わずちょこちょこ遅れて提出するのを繰り返していた。」

 提出が1秒でも遅れれば減点。一日以上遅れた際は、提出しても評価対象外。学校側も何度か目をつぶってくれていたが、自身の体調管理不足により、大幅に提出期限を過ぎてしまい、留年を言い渡された。「本当に終わったと思った。留年する奴なんて…。とバカにしていたが、自分が留年となってしまい本当に恥ずかしかった。」

 それ以降は改新し、同実習を再度履修し、レポートもしっかり提出し単位も取得。国家資格前月の模試では、合格が危うかったが研究室で毎日勉強をし一発合格。留年もあったが、無事に卒業となった。

病院勤務、最初の3年間

 臨床工学技士が働く現場は、メーカーや病院。彼は入学当時から病院勤務を目標にしていた。付属の大学病院の試験を受け採用。最初の3年間は自分がどの仕事内容が向いているのかを見極めるため、計5部署を周る。(透析室は1年間。)

・中央機材室 医療機器の管理や点検を行う部署。輸液ポンプの保守や、正確に薬などを投与するための機械や人工呼吸器などの機械全般を点検する。

・救命救急センター 高度外傷、第三次救命救急患者と呼ばれる、一刻を争う人たちを対象に働く。

・周産期 新生児や未熟児を対象とし、主に集中治療室で人工呼吸器や保育器を扱う。

・オペ室 手術に立ち合いながら、麻酔器、内視鏡装置の準備や保守、点検を行う。医療機器に関する手術の安全性やスムーズな施術のために不可欠な部署。

・人工透析室 腎臓を悪くし、腎臓機能低下した患者さんは人工透析を一生続ける。透析をすることで、腎臓の機能の変わりをし生活の援助をする。

 

あまり聞くことがない、人工透析

 3年かけて、すべての部署を周り終え、現在入社4年目。今は人工透析室で計1年半ほど働いている。

※人工透析の簡単な説明 

 (腎不全を患った人が行う処置。腎臓の主な機能は尿を作り出す。血圧を調整する。血圧の上げる物質と下げる物質を生成。など。主に慢性腎不全と急性腎不全に二分される。腎臓の機能が10%以下になると、血液に流れるのろ過が充分に行えず、体内の水分や老廃物の排出などのコントロールができなくなる。その場合に人工的に血液の浄化を行うのが人工透析。彼はその機械を使っている。)

 

知りたいことがたくさんある 

 医師や看護師とは違い、より専門知識を要する職業。求められることも多いがその分やりがいもある。「その機械の能力を最大限に発揮させることで、患者さんの予後を変えられる可能性がある。機械の効果的な使い方や病状の知識を100%知っているのか、80%なのか。自分の知識や経験で治療効果も変わってくる。」
 加えて、今は臨床を極めていきたいと話す。 「いずれは、管理職の道もあるが、もっと臨床をやっていきたい。ひとり、ひとりの患者さんの容態を見極め、様々な側面から診断できる技師になりたい。」 

 

これまでの選択に想う事

 父親から、幼少期の頃から医療の世界を勧められ、勉強も厳しく言われ続けてきた。親の意思に沿ってきたようにも見える人生だが、自分のしてきた選択に後悔が無いのか聞いてみた。

 「俺はこの人生で良かったと思っている。実際に医師や看護師の様子を見ているが、俺にはできない仕事だと実感した。行ったらやるしかない。だから、この仕事無理だと思ったことがない。見た目がこういう感じだから、友達からは”お前が病院いたらまじ無理だわ。”と言われる事もあるけどね。(笑)」

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大学時代も没頭したダンス。写真中央、肩を組んでいる左側が彼。


 

さいごーその時々で違う評価の基準

 久しぶりの再会に緊張しながらも、どこか懐かしさもあった。小学生時代から服装や髪型が整っており、家は厳しいんだろうなと感じていた。我が強く、勝負事で負けた時には、泣いて悔しがる姿を今でも覚えている。

 高校、大学と全く顔を合わせることはなかったが、その人生を振り返ってみると、負けず嫌いはそのままに大人になった。大学時代こそ留年してしまったようだが、最後は国家資格も取得し。臨床工学技士として病院で勤務。彼なりの成功を掴み取っているような気がした。

 「現場では自分が担当したり、仲良くなった患者さんが亡くなることはある。もちろん悲しい気持ちにはなるが、そういう職場。自分への戒めじゃないけど、もっと頑張ろうと自分に言い聞かせている。」

 学校での成績は点数で付けられ、ダンスは様々な観点から評価される。医療の現場は人命ありき。元来持ち合わせる、負けず嫌いを発揮し、知識を蓄えひとりでも多くの患者の人生を豊かにしていってほしい。